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アナクロキャラのひげじいが独断と偏見で世相を斬る

ひげじいの365日 前の日へ 2003/02/01ほかの日も見たい 次の日へ
もの言わぬ若者2
はしりがき
 日本の印象と言えば、昔はフジヤマ・ゲイシャ・カメラ・トランジスタラジオといったステレオタイプが挙げられて、いかに世界が日本の日常に無関心かを感じたものだ。 
 しかし、最近は訪日する外国人も多くなり、自国との比較で語る人が増えてきた。その中でよく聞かれるのが自販機のことだ。われわれにとっては日常の一部になっているので違和感を感じることもないが、彼らにはかなり奇異に見えるものらしい。とくにアルコールや煙草の自販機には驚くようだ。
 で、ふと思うことがある。こいつはもしかしたら、若者からコミュニケーションの機会を奪い、もの言わなくさせている原因の一つじゃないかと。
 んなこともないか。自販機は便利だもんなあ。



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不思議な工事現場
はしりがき
 多分、またマンションが建つのだろう。世の中深刻な不景気だが、それでも新規に入居する人たちがいるということは、金は回っているということだ。
 青いシートの裏側は、着々と工事が進んでいるみたいだ。トラックが出入りする口の前を通ると、コンクリートの壁に囲まれた暗い中が見える。そんな風にイメージするのは簡単だ。
 もしも…もしもだよ、あのシートの中に緑の大自然が広がっていたら、どんな気がするだろう。卒倒しちゃうかも…そんな不条理なことを想像してみた。



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日暮里駅傷害事件
はしりがき
 電車の乗降口で肩が触れるなんていうのは、日常のこと。 
 それにいちゃもんをつけたのは、相当ストレスが溜まっていたのだろう。思わず手が出たら相手が勝手に転んだだけで、単に運が悪かっただけのことかもしれない。
 この都会で、加害者になってしまうのか、それとも被害者になってしまうのか、それはほんの紙一重のようなものだ。しかし、起きてしまった不幸に対しては、すべての関係者が相応の責任を負わなければならない。この加害者はその端緒にすら着いていない。
 そのことが、早い事件解決を望むみんなの気持ちをより一層大きくさせているのだ。



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若者の理想の若者
はしりがき
 大学生というものが社会的なステータスを失って久しいが、それでも世間では一流と言われている大学の学生である。公道に吸い殻や空き缶、鼻をかんだちり紙を投げ散らし、携帯電話しか関心がない。そういうのが当世学生気質だとするなら、かの坪内逍遥はどう描写したものだろう。
とがめると何をされるかわからないということになると、こりゃいわゆるヤクザと同じ扱いだ。そんな風に見られているんだぞ諸君。
 なに?今時のヤクザってカッコイイから気にしてないって? 本気かよ・・・・・・



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若者の理想の女性
はしりがき
 男の子だけじゃないんだよね、最近は。 ことに喫煙率に関しては男は減少傾向にあるのに対して、女は増えているんだわ。
 たしかに、煙草って大人のステータスみたいな感じがあって、未成年がそれに手を出すのはちょっとしたスリルがあった。古い映画の中でマリリン=モンローとかオードリー=ヘプバーンとかシャーリー=マクレーンなんかがカワイイ顔してプカプカやっているのも、それなりに様になっていた。
 でも、吸い殻ポイ捨て携帯片手にせこせこ歩いているのがカッコイイとは到底思えないね。



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若者の理想の大人
はしりがき
 結局、少々トシ食った連中…つまり人生の先輩方が、なに考えているかわからないから、若者もそうなってしまうのだろう。
 いつリストラされ、家族から見放され、ホームレスになり、挙句の果てに若者のオジン狩りの餌食になるかわからない。そんな世の中だ。そう、なにしろ自分の生活を防衛するのでせい一杯で、ほかのことに気を回したくても回せない。そりゃみんな必死で生きているんだもの。
 まてよ、だから無党派なんてのが国民の6割を占めているんじゃないの?つまり、10人のうちの6人は…怖いぜ〜、なに考えているかわからないからね。
 …こりゃ人間関係がすさむのも道理だわさ。



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タトゥーまみれ
はしりがき
 刺青といえばヤクザを思い浮かべるのは、日本じゃ普通のことだろう。
 筆者もガキの頃、銭湯で背中一杯に竜の絵を彫ったオッサンを見て、どぎまぎした記憶がある。当時、その人がどんな種類の人なのか知るべくもなく、たまたま時代劇映画で遠山金四郎とか清水次郎長みたいなヒーローが、もろ肌脱いで悪者をやっつけるのを見て、このオッサンもそういう人なんだろうと勝手に思っていたものだ。一種の侠気みたいなものを刺青に感じていたのかもしれない。
 刺青の絵柄自体は一種の芸術作品かもしれないと思う。しかし、刺青はそれ自体が作品として完結しており、体は言わばキャンバスなので、それがある体とない体のどちらが美しいかと言えば、個人的には何もないまっさらな体の方がきれいだと思う。第一、刺青は写真に取りたいと思うことはあっても、絵に描きたいとは思わない。対して、まっさらな体は絵画表現によって色々な作品に変わりうる。
 言い換えれば、体に彫られた刺青の価値を左右するのは、それを見る鑑賞者ではなくて、まさに本人の人間としての深みなのではないかと思う。一度彫り込んだら消すことは難しいということだから、軽い気持ちで入れられるものではない。その点、慎重さ重厚さを嫌う昨今の軟派な若い衆の軽薄な判断を心配するのは、老婆心というものか。
 とはいえ、最近はタトゥーと呼んで、おしゃれの一つとして定着しているという。そう言えば、ごく普通の外国人がバタフライやローズの刺青をしているのを見ても、違和感は感じなくなった。本人が満足しているのならそれで良いのかもしれない。



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ピアスまみれ
はしりがき
 かつて、ピアスといえば未開人を簡単に表現するための小道具だった。タラコくちびるのハダカ人間を描いて、デカッ鼻に骨のピアスをかませればそれで良かった。
 そのうち、女の子の間でイヤリングに取って代わって流行し、普通のおしゃれ装身具として定着した。芸能人やスポーツ選手など、外見の姿に商品価値がある人たちにとって、ピアスは目立つための装身具として、とても使い勝手の良いしろ物かもしれない。外見だけでなく本職の方も実力が伴っていれば、まさに一種のステータスとなる。
 ま、目立たない所にごく自然に装着してあると、上品なおしゃれを感じることもある。
 んが〜、この前、街で見たギトギトのピアスまみれには、開いた口がふさがらなかった。いや、つまり、キレイだとかカッコイイとか言う前に、イッタソォ〜!! という感じが先行して見るに耐えなかったのである。



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ピアスのこころ
はしりがき
 金属と生命体の組み合わせっていうと、ターミネーターとか、スタートレックに出てくるボーグみたいなものを思い出してしまう。だから、目立つためにやっているのはわかるけど、それが異様に目立っていると、ゾッとしてしまうのである。
 こういうピアスまみれがいずれ普通のおしゃれになっていって、大臣・社長・大学教授もキンキラキンになってしまえば、もう地球人と同じには見えないだろうな。そんな時代がくるかもしれない。



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ピアスの勝手
はしりがき
 外国にだって、いやむしろ外国の方が発想が自由だから、そういう連中がちまたにたくさんいるんだろうと思う。にもかかわらず、外国人からジロジロ見られて有頂天になっているのを見ると、なんか日本人のアホさ加減をさらけ出しているようで、他人事とは思えなくなってしまう。
 さりとて、やめろとは言うわけにはいかないし、そんなの本人の勝手だもんなあ。
 でもさあ、時には自分が他人からどう見られてどう思われているか、少しだけでいいから考えてみた方がいいぞ。本人がイキだカッコイイと思っていても、実はてんで野暮ってなこともあるんだぞ。
 やっぱ大きなお世話か…そうだろうな…



ひげじいの365日 前の日へ 2003/02/26ほかの日も見たい 次の日へ
安全と平和と信頼
はしりがき
 さいたま地裁で桶川事件の判決が出された。桶川事件は99年10月に埼玉県桶川市で起きた女子大生刺殺事件だが、県警の対応のずさんさが事件を招いたとして争われた裁判である。判決は県警の一部怠慢捜査を認めたものとなったが、県警の主張は事件当時の証言をくつがえしての責任回避に終始し、公判中は被害者の人格に関わる誹謗まで行われた。
 …とまあ、新聞で大きく報道されていても、大抵は「ふーん、そんなことがあったのか」と読み飛ばすのが普通である。何か身の回りに直接起きない限り、日常とはかけ離れた世界の話のように思うものだ。
 しかし、もし何かあったときに、最も信頼すべき警察が全く頼りにならないどころか、反対に被害者が悪者扱いにさせられてしまうとなると、われわれはなんと危なっかしい社会に住んでいるんだろう。外国の脅威について、何かと日本国民はは平和ボケと揶揄されるが、実は、外国の脅威なんかより国内の脅威に対して、いかにわれわれが無防備かつ平和ボケであることか。
 警察に限らず、官庁や企業のほとんどが勘違いしている。
 人間なんだから間違えることもある。その人間で構成されている組織も間違いは起こす。もし、完璧で一点の曇りもないということが組織の信頼なのであれば、組織は組織の持つすべての欠陥・瑕疵を無理やり正当化しようとする。
 違うのだ。間違いの有る無しは信頼とは関係ない。信頼とはその間違いを率直に認め、再発することのないように努力し歯止めをかけることから生まれるのだ。
 一応考えておいた方が良いかもしれない。警察には通報すべき。でも彼らはわれわれでなく彼ら自身しか守ろうとはしないと。



ひげじいの365日 前の日へ 2003/02/27ほかの日も見たい 次の日へ
とばっちり
はしりがき
 桶川事件に絡んで警察について考えていたら、捕り物現場でのとばっちりで警官に殴られた記事が目に入った。ま、この事件は警察が丁重に謝って片が付いたようなので良かったが、もしも被害者が半身不随にでもなったらどうするんだろう。
 あんまり、警察を揶揄するのはいかがなもんかとも思ったが、そのまんま、まるまるマンガになってしまうので、勢いで描いてしまった。警察は常に正しい、絶対に間違えないと思い込んではいけないという事例。

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