コンセプトは ”どうしたら面白くなるか?” おもしろがりのひとりごと 画・文:平澤 功
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品質でもうけなさい…品質「補償」活動・「お祭り」品質管理に決別を!品質問題の本質と解決の考え方を豊富なイラストでやさしく解説します。
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改善提案名人に挑戦!…生産改善のコツを楽しい物語で解説。 備忘録めもらんだむ・・・常時工事中です。歯抜けでも差し支えなければどうぞご覧ください。
午後の絵本…オリジナルのイラストです。ヒマなときにどうぞ。
2009/02/05 リストラ:リストラクチュアリング(restructuring)の略語
090205リストラ  このところ、新聞を開けば「リストラ」という言葉を目にしない日がない。この言葉が使われるようになったのは、バブル経済が崩壊し始めた90年代初めだと思うが、その当時からこの言葉を聞くと非常に不愉快になる。最初に使ったのは経済学者?官僚?それともマスコミ?いずれにしても、リストラを人員削減と同義に使うのはどうも我慢ができない。
 人員削減は「首切り」と言った。もちろん、良い雰囲気の言葉ではない。当たり前だ。だれが人員削減を喜ぶものか。それを「リストラ」なんてハイカラな言葉に変える、小ざかしい物言いが癇に障るのだ。首切りは首切りだ。それをリストラなんてバタ臭い言い方でごまかすなってんだ、べらぼーめ。
 元々リストラというのは、リストラチュアリングを縮めた言葉だ。和訳すれば「再構築」、改造という意味だ。人員削減のことではない。人員削減を英語で言えば、ペイロールカットあるいはパーソネルリトレンチメントという。どうしても横文字でカッコ付けたいならペロカツとかパソリトとでも言いやがれ。
 企業をバランスシートだけで見りゃ、ばっさり人件費が削られて経理上の改造と言えるだろうさ。しかーし、企業てぇもんは金だけで語ることなんざできねぇできねぇ。昔から人・物・金って言うんだ。ところが、近頃の経営者はなにかってぇと金・金・金だ。
 そもそも大企業は本気でリストラ、企業改造する気があるんだろうか。時代の変革期に過去の延長でものごとを考えていたら、立ち直れないのは当然だって気付かないのかねぇ。今までの売れ筋で儲からないなら、違うことを考えろ。全く新しい観点で、企業の将来を見据えろってんだ。
 人というのは貴重な資源。削減すべきは人でなく、新しいビジネスモデルにおいてムダとなる部分だ。それは、従来の産業では必要だったかもしれないが、将来において必要であるとは限らぬ。だから、今こそ将来展望の下に改革・改善を進めなければならないのだ。それが本当の「リストラ」というもんだ。
 と、大声で叫んでも、将来ビジョン一つ聞かせてくれない経営者の耳には届くまい。この大事な時にばっさばっさ人の首を切るなんて・・・。
2009/01/15 背黒鶺鴒
 冬は野鳥が餌を求めて里に下りてくるので、あちこちで可愛らしい姿を見ることができる。実際、朝の散歩で出会う鳥の種類は一つや二つではない。そこで、記事のネタにしようとカメラを構えるのだが、当然のことながら相手は植物のようにじっとしていない。おまけに光量不足のためにぶれてしまって、何が写っているのかわからなくなってしまう。
 今朝も、所詮安物のデジカメではムリと思いつつシャッターを押したら、珍しくぶれずに撮ることができた。実は、この右手につがいの相方がいるのだが、そちらは残念ながら撮りきれなかった。
 これはセグロセキレイ。アングルが悪く、独特の上下に振る長い尾羽がさっぱりだけれども、背中の白い筋はしっかり写っている。チョコチョコと素早い足取りで地面を歩き回って餌を探す。とても人懐こく、驚かすようなことをしなければ1メートルぐらいまで近づいても飛び立つことはない。
 波のように揺れて飛ぶのもセキレイの特徴。広げた羽がその名の背黒と対照的に白く光って見えるのがとてもきれいだ。書物によると、キセキレイの方が人里では多く見かけるとあるが、私の実感ではセグロの方が身近に感じる。
 そばに止まった乗用車から、目一杯メタボのおっつぁんが煙草をくわえながら降りてきた。バタンとドアを閉める音にびっくりして、2羽とも飛び去ってしまった。朝っぱらから音楽とエアコンをガンガンかけっ放しで、近くの自販機にコーヒーでも買いに行くのだろうか。身の回りに息づく野生には全く関心がないようだ。
 でも、今朝はやっと鳥の写真が撮れて少しだけ気分が良いので、この無粋な男は無視することにしよう。
 ジジ、ジジっと、遠くからさえずりが聞こえた。
2008/12/01 光陰:月日。歳月。移り行く時。
081201光陰 こないだ年が明けたと思ったら、もう最後の月を迎えてしまった。
 時間の経つのが速い。齢を取れば取るほど速くなるもんだとはよく言われるが、全くその通りだ。なぜなんだろう?なぜ齢を取ると時間が速く過ぎていくのか?
 こんなことを想像したことがある。
 つまり、人の頭の中には時間の定規があり、その長さは人それぞれ決まっていて、勝手に大きくなったり小さくなったりしない。その定規の中に時間の記憶が収められていく。
 例えば、それが10センチの定規とすると、1歳の赤ん坊の1年は10センチ。2歳になれば半分の5センチ、3歳になれば3.3センチ・・・齢を取れば取るほど1年の長さは短くなっていく。1年分の容量が小さいから、そこに収められる記憶量も少なくなる。よって、齢を取れば物忘れし易くなり、時間が経つのはますます速くなる。
 秦始皇帝も夢を追ったという不老不死。しかし、何百歳、何千歳ともなれば、考えるより先に時間がすっ飛んでいって、何が何だかわからなくなってしまうだろう。幸い、人間の平均寿命は70〜80年。このくらいでお迎えが来るくらいが丁度良いのかも知れぬ。
 老いとはそういうもの、死はむしろ究極の安息。なればこそ、今の時を悔いなく精一杯生きて生きて、ああ疲れたな、もう休みたいなと思った時にすうっと眠るようにあの世に行ければ最高だなと、まあ、そんな風に哲学者ぶってみたりしていた。
 ところがだ。こんな役に立ちそうにないことでもしっかり研究しているのが科学。
 まず、人がものを見て脳で認識するまで0.1秒かかる。これは動作研究(生産改善の手法の一つ)の、基本動作(指を動かす)の時間とほぼ同じだ。
 一川誠さんという千葉大の先生によれば、代謝が良くなるとこの認識時間が短くなって、実際の時間が過ぎるのが相対的に遅いと感じてしまう。逆に代謝が悪くなると認識時間が長くなり、そのために年を取ると時間が早く過ぎていくと感じてしまう。これが実験でも確かめられている。
 なるほどそうであれば、同じ仕事をこなすのでも、代謝が良い若い人ほど効率がよく、中高年は効率が悪いということか。ところがどっこい、実際には必ずしもその通りの結果にはならない。仕事の要領、熟練といったものが代謝の悪さを十分にカバーしてしまうからだ。経験というものをバカにしてはいけない。・・・時間の話がこんな結論になってしまった。ま、いいか。経験の重さというのは時間の重さでもあるのだから。
 ところで、熱中して時を忘れるとはどういうことなんだろう?時間が経つのが速いわけだから、代謝が悪くなっているのかな?でも、仕事に熱中していれば普通は効率も悪くないと思うが・・・。
 うーん、ちょっと頭が混乱してきたので、いずれ改めて考えるとしよう。
2008/11/06 変革:社会・制度など、変り改まること。変え改めること。
081106変革 次期アメリカ大統領がバラク=オバマ氏に決まった。それについて述べたところで、同じような論説・論評の二番煎じになるだけだから、少し違う観点を探して自分なりに感じたことを書いてみよう。
 アメリカ大統領選挙というのは4年ごとに行われる。また、下院は2年ごと、上院は任期6年で1/3の議席につき2年ごとに選挙が行われる。日本のように辞任とか解散ということはない。だから、いくら大統領がひどくても議会がハチャメチャでも、次の選挙まで国民はじっと耐え忍んで待つのである。つまり、彼らは2年あるいは4年という期間で政治を考えている。裏返せば、戦略を重視した政策を時間をかけて進めているということだ。
 かつて、日本の経済力が世界を席巻し、ジャパン・アズ・ナンバーワンともてはやされていた頃、日本企業の強さは長期的展望の下に経営を展開しているからだと言われた。目の前の1000円より5年後10年後の1000万を目指したわけだ。
 長期的展望と戦略。政治であれ企業経営であれ、これが強さをもたらすことは明らかである。ところが、ここ10年ほどは、目先の利益を求めて場当たり的な政策ばかりが暴走した世の中であった。結局残ったものは格差拡大と社会不安ばかりだった。
 今、目の前の1000円すらままならないくらい企業経営が苦しいのはよくわかる。しかし、だからと言って相変わらず刹那的な経営ばかりやっていたら、いつまでたっても事態を好転させることは不可能だ。悪口を言いたくはないが、思考回路が完全に錆び付いていて、長期戦略の話をバカにして聞く耳を持たない企業幹部が多いのだ。
 アメリカは変革を旗印にする若い大統領にこれからの4年を託した。しばらくは苦難の連続だろうが、長期戦略に立っていればいずれ成果を生むのは間違いない。
 日本には解散がある。しかし、今の総理大臣の言動を見るかぎり、衆議院議員の任期満了まで何も変わらないだろう。きわめて不満ではあるが、この際、我々はアメリカと同様にしっかりと次の4年を考えて変革の時を待つべきなのだ。企業はひたすら耐えるのみだが、今こそ体力を回復させるために発想を変えて行動する時なのである。
2008/10/29 朝顔:ヒルガオ科の蔓性一年草。中国から渡来し江戸期に園芸種が作られた。
081029朝顔 朝顔の紫がきれいだった。
 霜月11月もすぐそこだというのに、こんなに一杯の朝顔の花を奇妙に感じる人も少なくなかろう。
 奇妙に思うのは悪いことではない。普通、朝顔は夏の暑い時期に目にする花だし、入谷の朝顔市は毎年7月に開かれる。盛夏の象徴のような花と、冬の声も聞くこの時季に咲くことの間にギャップがある。このギャップを問題と言う。奇妙に思うというのは問題意識があるということだ。
 朝顔は夏に咲くもので、この時季に咲く筈がないと頭から否定し、この写真はウソであると決め付けることも可能だ。しかし、残念ながら、この写真は今朝撮りたてのホヤホヤ。他人から教えられたこと、本に書かれたこと以外正しいと信じられないのが、いわゆるマニアル人間。
 一方、この事実を素直に受け入れて、なぜだろうと思ったら、それが問題解決の始まり。
 この場所の日当たりが良い?地球温暖化の影響?持ち主がわざと遅蒔きして育てている?単なる開花期のバラツキ?等々いろいろな可能性が考えられる。こういった可能性のひとつひとつが仮説。仮説が本当かどうかを確かめるのが検証。仮説と検証を繰り返して問題の謎を解き明かすのが科学。
 そんなことを思いながら朝顔を眺めているのは楽しい。
 しかし、朝顔が秋の七草にも数えられる秋の季語であると言うと、これまた驚く人が多いだろう。この朝顔はムクゲや桔梗のことだという説もあるが、実は昔の人は現代人よりもっと素直に事実を見ていたのかもしれない。
 万葉集、山上憶良の二首。
 秋の野に咲きたる花を指折りてかき数ふれば七種の花
 芽子(はぎ)の花尾花葛花撫子の花おみなへし又藤袴朝顔の花
2008/10/17 命中:目あてとする所にあたること。的中。
081016命中 歩いていると空からの落し物に見舞われることがある。それも一度や二度のことではない。
 もちろん気分の良いものではないが、それにしても実にタイミング良く命中させるものだ。まるで、自分のいる高さと歩いてくる人間の速度を正確に計算して、狙いを付けているみたいだ。
 鳥がいる電線の高さが地上15mくらいだとすれば、自由落下で地上まで到達するのに約1.75秒かかる。一方、人が歩く速さを時速5キロとすると、うまく命中させるには2.5m手前に差し掛かったところで投下ということになる。
 これ、高等学校で習う物理の話だから、カラスやムクドリはそこら辺のおバカタレントなんかより、かなり優秀な頭脳の持ち主と言わざるを得ない。
 実際は、人の姿が目に入ったところで驚いて脱糞ということなんだろうが、それにしても・・・
 散歩の時は電線の下を歩かないこと。これ鉄則です。
2008/10/02 甘蕉:バショウ科の多年草。バナナ。
081002甘蕉 仏さまにお供えができないと母がこぼす。
 うちはみんな甘党で、父・祖父母みんなバナナが大好物だったので、仏前の供物に欠かしたことがない。ところが、このところ夕方にはどこのスーパーもバナナは売り切れ。高級品ですら手に入らないほどの異常さである。
 朝バナナダイエットというのが流行っているのだそうだ。朝食をバナナと水だけにしておけば、あとは好きなものを好きなだけ食べて、運動をしなくてもやせられるというのである。効果のほどは知らないが、以前もスキムミルクだとかビターチョコレートだとか、同じような理由で一時的に品薄になったことがあった。今回はどうだろう?
 そう言えば、最近は早朝ウォーキングをしている人が少なくなったような気もする。楽をして減量したいという気持ちはわかるが、朝のブラブラ散歩を続けるだけで10キロ以上減量できた経験からすれば、結局は健康維持という目的をどれだけしっかり意識しているかという話だと思うのだが。
 しばらくは仏さまにもガマンしてもらうしかないか。
2008/09/20 彼岸花:秋の彼岸頃に咲くヒガンバナ科の多年草。
080920彼岸花 彼岸花が目に付くようになってきた。
 曼珠沙華は赤い花という意味の梵語。日当たりの良い川原や土手に群生しているのは、まぶしいくらいの鮮やかな赤だ。
 名前から抹香臭さが付きまとうが、花の形をよく見れば、華やかさのあるきれいな花である。園芸種も多く、水仙やアマリリスといった馴染みのある花が同じ種類と言うと少し驚いてしまう。
 その彼岸花を、雑木林の暗がりで点々と咲いているのを見つけた。明るい日差しの中の赤と、あまりにギャップが大きく、かなりの戸惑いがある。幽霊花、死人花、捨子花等々、感じの悪い呼び方をされるのは、このアンバランスが不気味に感じられるせいだろうか。
 秋の彼岸にきまって花開くのは植物の勝手だろうが、人はそれぞれの想いを込めてこの花を眺めるのだろう。
2008/09/08 移ろい:状態が変化していくこと。
080908移ろい 白露。大気が冷えてきて露ができ始める候とされる。旧暦では秋真っ盛りでも、今どきはまだまだ油蝉がかまびすしく、ひと言、暑い。
 今朝もいつものように息を整えながら静かな住宅街を歩いていると、ふいに木犀の香りに気付いた。辺りを注意して見ると、白い銀木犀の花が咲いている。
 銀木犀は金木犀の原種で金木犀に比べると香りが少ないと言われるが、どうしてどうして。懐かしい香りがしっかり秋の到来を告げている。
 蝉の声と木犀の香り。夏と秋の象徴がひとつの時間の中に同居している面白さ。
 ものごとは突然変わるのでなく、こうやって混沌としながらじんわりじんわり動いていく。それが普通の姿なんだなあと、当たり前なことに感心しながら、白露の朝を歩く。
2008/09/04 三文芝居:低級な芝居。つまらない芝居。
080904三文芝居 政治って何のためにするんですか?という小学生の質問に、みんなが幸福になるためにやるんだよと答えたのは、当時自民党幹事長だった小沢一郎代表だった。
 良い答だと思う。だからと言って民主党を支持するという話ではない。私は無党派である。政治が本当に国民の幸福のために行われるなら、自民党でも共産党でも良い。
 与党が政権維持にこだわること自体を批判はしない。ところが、参院選後の二度にわたる首相辞任劇は、どこに国民の幸福という話があるのだろう?
 小泉劇場で政治が身近なものになったのは良かったと言う人がいる。バカ言うんじゃない。身近になることと政治バラエティショーになることとは全然違う。
 これからしばらくはどのメディアも嬉々として、三文芝居の顔見世興行を流し続けるのだろう。物寂しいどころか気が滅入ってくる秋だ。
2008/08/30 誇:ほこること。自慢に思うこと。また、その心。
080830誇 その時、酒を酌み交わしながら職場の問題を語り合っていた人もいよう。その時、難関突破の為に一心不乱に参考書に取り組んでいた人もいよう。その時、子供たちと一緒に歌を歌っていた人もいよう。その時、恋人に寄り添って幸福に浸っていた人もいよう。その時、メタボ解消の為に街角をジョギングしていた人もいよう。みんなみんな精一杯に生きている。
 その時、荒れ果てた砂漠をどうしたら緑豊かな大地に変えられるか、その夢が適えられることなく、無知と偏見と誤解のために、一人の若者が帰らぬ人となってしまった。
 オリンピックで感動をくれた選手たちはもちろん私たちの誇りだ。その他にも、わが国には誇るべき技術、知能、歴史など沢山ある。でも、世界に一番誇りたいのは、自分と何の係わりのない人たちのために、名誉も報酬も求めず、危険を承知で、ひたすら貧困と戦い続けた、こういう人がいるということだ。
 伊藤和也さんに合掌。
2008/08/15 悠:とおくはるかなさま。のんびりしたさま。
080815悠 コロー展を見に行く。
 盆休みなら空いていようという期待は見事に裏切られたが、混雑が気にならないくらい見応えのある良い展覧会だった。
 印象派の先駆と言われる人だが、同時代に華々しく活躍した芸術家たちとは一風異なり、悠々とあるいは淡々とわが道を行くがごとく、ただ気に入った風景を人物を描き続けたフランスの画家である。
 絵を楽しむ時はいつも、描いている本人になって、じっと作品の前に立つことにしている。すると、額縁の外の光景まで見える臨場感に包まれ、思わずキャンバスに筆を落そうとする、そんな自分勝手な空想がとても楽しい。
 どの絵も風の音、せせらぎ、鳥のさえずり、人々の話し声が聞こえてくるようだ。家畜の臭い、乾いた土の香り、陽に照らされた柱の反射光、女の着衣の質感まで含めて、そのまま一篇の詩となって語りかけてくる。
 上野は31日まで。その後は神戸市立博物館とのこと。
2008/08/06 愚行:おろかしい行い。ばかげた行為。
080806愚行 その時父は三菱の造船所にいたというから、爆心地から3キロほど離れたところで被爆したわけだ。
 大量虐殺は太古の昔から何度も繰り返されてきた人類の愚かな行為だが、原爆はほんの一瞬でそれを成し遂げてしまう。
 日本の侵略戦争を正当化することはもちろんできない。しかし、敗色濃厚でボロボロの瀕死状態だったこの国が、原爆を2発も投下するに値するほど危険だったのだろうか。
 アメリカの学校では、原爆によって多くの人命が救われたのだと教えている。それが正当な理由であるなら、イラク、イラン、アフガニスタンになぜミサイルを撃ち込まないのだろう。そこでは、今でも毎日のように沢山の命が失われているというのに。
 学校や会社で戦争や原爆の話をしようとすると、なぜかみんな胡散臭い顔をして、話から逃げてしまう。反政府的な政治運動をイメージしてしまうからだろうか。権力や右翼ににらまれて面倒なことに巻き込まれると思っているのだろうか。何かおどおどしてこの話題を避けるのは、なぜなんだろう。ただ平和の有難さを話したいだけなのに。
 8月6日、9日、15日がどういう日か知らない人が増えているという。子供が悪いのではない。大人が教えないのだ。
2008/07/30 蚊:ハエ目カ科の昆虫の総称。
080730蚊 昔、ある合宿で夜更かしした時のことだ。話に興じていた我々を除くほとんどの奴がしっかりと寝息を立てている。
 そこで、友人の1人が、どんなに熟睡していても確実に起こせる方法があると言う。やって見せてくれと言ったら、真面目な顔をして裏声でウーンと言いながら、寝ている奴の耳元に近づいていく。すると、何人かは本当に手で払おうとするのだから面白い。
 虫偏に文という漢字は、あのイライラする羽音を象徴していて、うまく作ったもんだと感心してしまう。その蚊が、寝苦しい熱帯夜に、どこからか一匹だけ紛れ込んでくる。
 ウトウトした矢先にブーンと来て、あわててタオルケットを頭から被り、汗だくに我慢できなくて顔を出し、またウトウトした頃にブーン・・・
 室外機の音が聞こえる隣家をうらめしく思いながら、これもまた夏の風物詩だと、やせ我慢して眠い目をこするのである。
2008/07/21 熱源:熱を発しているもと。
080721熱源 梅雨明け十日などと言って、梅雨が明けてからしばらくは大気が安定して好天が続く。体が気候の変化に追いつかないために、この好天は猛烈な暑さに感じられることになる。
 それでも、うちの近所は比較的緑が多いせいか、明け方は夏掛けだけでは寒いくらいに気温が下がっている。そんな涼しさがもったいなくて、急いで朝の散歩に出る。
 道路端に車が止まっているありきたりの光景。水を飲むために立ち止まると、風が汗の蒸発熱を奪ってとても気持ちが良い。ところが、この車、どの窓もぴったり閉め切って、エアコンを効かそうとエンジンをブンブンふかしている。
 ガソリンが異常に高騰している昨今、こうやってエネルギーのムダ遣いをして、燃焼熱と温暖化ガスをバンバン放出して、なんとも思っていないドライバーの神経たるや、完全に私の想像を超えている。
 しかし、陸橋の上から高速道路を眺めていると、当然ながら窓を開けている車は皆無で、つまりは酷暑の熱源はお天道様にあらずの感を強くする、夏の朝の散歩なのである。
2008/07/13 蝸牛:カタツムリ。マイマイ。デンデンムシ。
080713蝸牛 梅雨明け間近の早朝。
 ふと足元を見ると、アスファルトの上を大きなカタツムリがのろのろ這っていく。車が来たら一たまりもない。命がけの道路横断。アルプスの少女ハイジに出てくるヨーゼフが見たら、大喜びでペロっと食べてしまうところだ。
 カタツムリは陸生の貝のことだ。日本には700種類もいるのだそうだ。ガキの頃は面白がって、触覚をつついてみたり、貝殻を取ればナメクジになるんじゃないかと残酷なことをやってみたりしたものだ。
 そう言えば、カタツムリにはかなり危険な寄生虫がいるという話を聞いたことがある。レウコクロリディウムというややこしい名前で、人が寄生されると脳に入りここみ、死に至ることもあるというから恐ろしい。
 こんなもの、よく平気でいじっていたものだと思いつつ、インターネットでいろいろ調べてみたら、その寄生虫が日本で見られるようになったのは、ここ20年あまりのことで、原因はペット用外来種の飼育放棄によるものらしい。
 人間の無責任が生活の中に危険をもたらしている一例。
2008/06/29 代謝:古いものと新しいものとが入れ替わること。
080629代謝かつて、朝の5時6時に街で出会うのは、犬の散歩ぐらいで、たまに思い出したようにジョギングする若者を見かけるぐらいだった。それが、最近は中年のおじさんの多いこと。
 私のようによそ見してプラプラ歩くのと違って、真剣に大きく手を振って歩く姿は、なにか悲愴感がある。
 腹回りが丁度85センチで血圧が少し高めなので、基準から言えば、私もメタボ予備軍だ。しかし、身長があるのでBMIは25を下回る。以前、過度のストレスで体調を崩し、死の四重奏すべてそろってしまったことがあるが、今はどこも悪い感じがしない。それでも、医者からなんやかやと言われるんだろう。全く余計なお世話だ。
 友人の中には若い頃からぽっちゃりの人も多い。少しぐらい太目の方が長生きだとも聞く。85センチという根拠がよくわからない。
 そういや、老人を75歳で線引きするのもよくわからないし、なんで国っていうのは、こんなふうに血の通わない杓子定規なことばかりやってるんだ?
 ほかにもっとやるべきことがあるんじゃないか?
2008/06/22 紫陽花:ユキノシタ科の観賞用落葉低木。
080622紫陽花 梅雨時のアジサイ。
 当たり前すぎて、散歩道に咲いていてもほとんど意識することがない。たまに、庭先に咲くセイヨウアジサイの鮮やかな青やピンクが目に飛び込んでくるが、なぜかバタ臭い感じがして面白みがない。
 少し意識して歩くと、藪の中にガクアジサイの株が続いていた。ガキの頃はちっともきれいだと思わなかったが、花びらのように見えるガクが円く並んだ中に、小さな粒上の花が南京玉のように集まっていて、花の冠のような何とも言えない味わいをかもしだしている。
 漢字で紫の陽の花と書く。が、紫と言うより青やピンクの花という印象が強い。土が酸性だと青に、アルカリだとピンクになるのだという。リトマス試験紙と逆なのが面白い。
 九州で大雨というニュースが聞かれるようになると、梅雨もいよいよ後半だ。うっとうしい曇天の下、あちこちにあるアジサイ寺とかに行きたいとはこれっぽっちも思わないが、今がこの花の最盛期なんだろう。
 頭の上をヒヨドリが鳴いて飛んでいった。
2008/06/15 粍:ミリメートル。1000分の1。
080615粍 何の関係もないのだけれど、着替えの時大きな百足が畳の上を這っているのを見つけて、いやな感じの朝だった。
 食事を済ませ、ラジオを聞いていたら突然、永六輔さんが「揺れてる揺れてる」と騒ぎ出して、じっとしていると確かに大きな周期で家が揺れている。
 岩手宮城内陸地震と名付けられたこの地震は、あの阪神淡路大地震に匹敵するほどの規模だったらしい。震源地が山の中だったので、あそこまでの大きな被害ではないが、栗駒山全体が一気に数百ミリ移動したという。犠牲者には謹んで哀悼の意を表したい。
 こんなに大きいのは別格だが、気象庁の地震発生記録を参照すると、日本列島はほとんど常時地震が起きているのがわかる。そして、毎年数ミリずつ動いているのだという。
 人間の感覚では全く変化がないのと同じだが、地球のスケールで考えれば、恐竜が生きていた2億2千万年前と今とでは、220キロ以上もずれていた計算になる。土地のことを不動産と呼ぶのは、人間の勝手な思い込みでしかない。
 先月、中国四川省で6万人以上の死者を出す大地震があったばかりだ。大地はまさに動いている。
2008/06/07 五月晴:梅雨の晴れ間。
080607五月晴 梅雨のさ中の数時間とか1、2日くらいの好天が五月晴。梅雨どきは旧暦で5月頃なのでこう呼ばれる。当然湿気が多くてからりとした天気ではないが、長い雨期の貴重な晴れ間なので、気持ちの良い天気の代名詞のように言われる。
 お天道様が空の最も高い軌道をたどるので、実は紫外線が最も強い時季。雨上りの若葉が朝日に照らされて、良い塩梅に日除けになっている。重なり具合でいろいろな緑の光に変わるのを眺めていると、時間がたつのを忘れてしまう。
 今月は環境月間。それにちなんだイベントが、あちこちで盛んに行われているが、1ヶ月だけお祭り騒ぎして解決する問題でもあるまい。それにかこつけた業者の稼ぎどき。
 庶民ができるエコと言えば、節約とかムダの削減といった例がよく紹介されるが、まるで企業の原価低減活動とそっくりだ。それがごく自然にできる社会になれば良いのに。
 どんなに生活が便利になっても、表向きエコを旗印にして、食糧不足やエネルギー危機をもたらすような金儲けをしていたら、いつかきっと自然からしっぺ返しを食らうに違いないんだ。いや、もう食らっているんだろうな・・・
 小さな緑のブースの中でそんなことを思う。
2008/06/02 縄張:博徒の親分の勢力範囲。動物の領分。
080602縄張 なんか臭いなあと周囲を見渡すと、今日もマンホールのそばに落とし物。初めは犬の散歩の不始末と思っていたが、あるとき、黒と白のノラ猫が落としている現場を発見。以来、このノラはこの通りの悪役として君臨している。
 この落とし物、見つけ次第すぐに取り除かないと、通り掛りの車のタイヤにくっついて等間隔に道路にばらまかれて、悲惨な事態となってしまうのだ。何を食っているのか知らないが、とにかく臭いの臭くないの、情けなくて掃除する気も起こらなくなってしまう。
 先日NHKの番組で、猫は家の軒下とか花壇をトイレにしたがるとか言っていたが、このノラはアスファルトの真ん中に堂々と立派なお供えをして姿を消す。これ、間違いなく縄張を主張しているんだと思う。というのは、勢力の版図が変わるんだろう、毎年落とされる場所が動くのだ。
 柑橘系が嫌いだとか、超音波で撃退するとか、いろいろ話を聞いてやってみたが、どれも目立った効果はない。こういう公共の場に、なんで個人が金を出さなくちゃいけないんだと怒りがこみあげてくるが、動物保護とかなんやかやで、役所は全然動いてくれないんだねえ、こういう問題には。
 何か良い解決策はないものだろうかにゃあ。
2008/05/26 改善の値段
080526改善の値段 5月22日付け朝日新聞の“カイゼンに残業代”という見出しに目を奪われた人は多かったのではないだろうか。
 繁栄には常に光と影がある。世界一とも言うべきトヨタの改善だが、一方で労働条件や雇用実態に対してはかなり以前から批判があったのも事実である。利益さえ出れば良しとされる風潮の中で、そのような影の部分に言及すると、すぐに急進的左翼扱いされる変な国なのである。
 当サイトでも解説しているように、改善は明らかに従業員の責任であり業務の一部である。それゆえに改善はもっと日常的に普通に行われるものなのだ。ところが、経営側は、改善とは従業員の自己犠牲的な行為であって、会社が金をかけずにコストダウンするのが改善の本道としてきた。仕事と認めない代わりに金も払わないというわけだ。
 今こういう記事が表に出てきたのは、改善の本質とその正しい価値がようやく認められたということなのだ。
 コメンテーターと称する輩の中に、自分も現場にいたと見栄を切りながら、アフターファイブでアルコールが入ればもっとアイディアが出る、それはどうなんだと息巻く情けない奴が結構いた。利権まみれの政治家でもあるまいし、そんな飲み屋の話まで改善だと、あなたは考えるだろうか?
2008/05/08 梢:樹の幹や枝の先の部分。
080408梢 花が散って葉桜になっても、まだ祭りの余韻が残って落ち着かなかったのが、連休を過ぎると街の雰囲気がガラッと変わってホッと一息つく。
 花々の彩りはやや控え目になり、新緑に覆われる散歩道。晴れた朝に木立の中を歩くのはなんて良い気分なんだろう。何もかもが生き生きとしていて、そのくせ、こないだまでのような上調子ではないから、一歩一歩しっかり前に進む感じがする。
 気持ち良くて自然に歩が速くなり、乾いた空気が初夏の風となって顔に当たり微かに薫る。男の精液に似たこのにおいを女性はどう感じるのだろう。男性である私には下品な淫靡さよりも若い生命の息吹きに感じられるのだが、それは勝手な思い込みだろうか。
 立ち止まって梢を見上げる。折り重なる若葉が光をさえぎって緑の影模様となり、風に柔らかく揺れている。その先に見える空。希望という光の色。
 一年で一番好きな季節。
2008/05/01 雲雀:ひばり。
080501雲雀 朝方少しぐらい曇っていても、さっぱりした空気の感触でこれは良い天気になるなとわかるのが、春の季節だ。
 つい最近まで雑木林の中の細い道だった散歩道が、工事のために通行止めになったかと思うと、あれよあれよと丸裸の造成地に姿を変え、個性のない高級集合住宅がそこら中を覆ってしまった。新聞の折込広告は不動産のものがやたらに増えて、ポストに入らないくらいだ。
 灰色の広い舗装道路になったのに車の姿はほとんどなく、高級集合住宅の窓に生活を感じさせるような気配もない。子供の声が全然聞こえないし、本当に入居者がいるのだろうかとさえ思ってしまう異様な光景。
 申し訳程度に作られた小公園の先に広い空き地が残っている。ここにも住宅建設予定地の看板が無表情に立っている。金網の向こうに重機が工事の始まりを待っている。
 そう言えば、さっきから高い空でけたたましくさえずっている、あの鳥は雲雀だ。きっと、この空き地のどこかに巣があるのだろう。まもなく彼女にとって驚天動地の大工事が始まるのを知る由もなく、途切れることのない鳴き声は、何を歌っているのだろう。
 「一升貸してニ斗取る利取る利取る・・・・・
2008/04/14 話:はなすこと。会話。ものがたり。うわさ。
080414話 ラジオは楽しい。TBSが多いのはたまたま電波の入りが良いから。
 一番好きなのは若山弦蔵さんの「バックグラウンドミュージック」。日曜日のお昼、名探偵エイモス・バークの声が届ける穏やかなストリングスの調べにほっとする。
 永さんの「誰かとどこかで」も大好き。50円の小言という新コーナーは共感する意見ばかり。定番の「小沢昭一的こころ」はいつもニヤニヤさせられる。
 思えばこの素敵な爺さまたち、みんな後期高齢者。お元気な内にいろいろ話を聞いておかなければ本当に損する思いだが、インターネットどころかテレビにすら姿を見せない。
 携帯があれば本なんかいらね。ネットがあれば新聞なんかいらね。メールがあれば手紙なんかいらね。コンビニがあれば商店街なんかいらね。ついでに警備会社があれば近所付合いなんかいらね。でもねぇ・・・。
 ラジオなんて確かに前時代のローテクだけど、実は携帯やネットなんか比べ物にならないほど奥が深いんだぞ。
 お、そろそろ「荒川強啓デイキャッチ」が始まる。
 夜の渡辺真理さんの「アクセス」っていうのも面白い。いいから、たまにはパソコンオフにして、ゆっくりラジオでも聞こうよ。水割りでもやりながら。
2008/04/10 粘着性:粘りつく性質。〔心理〕てんかん性質。
080410粘着性 評論家や雄弁家でなければ政治を語ってはいけないということはないはずだ。このところの混乱ぶりは見ていて辟易するばかりだが、一方で、この国の議会制民主主義というシステムが、やっと実感で理解できたような気もする。
 昨年の参院選で野党過半数となった時点で、少なくともこの3年間は与党にとって国会審議がうまく行かなくなるのはわかりきっていたことだ。それを避けるなら、野党を切り崩してギリギリでも参議院過半数を維持するか、速やかな解散総選挙以外にとるべき道はなかったのだ。おそらく衆院選も野党の勝利となることだろう。野党がしっかりと政権運営できるどうかは全くの未知数だが、今のようにお話にならないメチャクチャな混乱はなかっただろう。
 優位性が定められているせいで、衆議院の多数政党がすべての政策を決めてしまうわけだし、チェック機関とは名ばかりの参議院なんてムダだからいらないとも思ったものだ。しかし、実は参議院こそが国民の意思を反映し政権の行き先を決めているのだった。
 少し考えればだれでもわかるこんな簡単なことに、粘着性の強い今の与党だけが全然わかっていない(もしかしたらマスメディアも?)。このままでは、ますます支持率が下がるだけなのもわかっていない。日本の信用も経済力も国民生活も。
2008/04/05 風:空気の流れ。なりゆき。ならわし。
080405風 チェリーロードの信号待ち。車の中に舞い込むひとひらの花びら。そのまま風に乗って反対の窓から出て行った。
 大抵の人にとって、音楽といえばポップスであり歌謡曲であり、ロック、ジャズ、クラシックあたりまでがメジャーなのであって、合唱なんていうと残念ながら好きな人は極端に少なくなってしまう。
 その合唱曲の中に「心の四季」(吉野弘詩・高田三郎曲)という名曲があって、花吹雪を見ると、ついその歌を口ずさんでしまう。花びらが舞い落ちて春が弱まるという不思議な表現で無常の時の移ろいを語っている。初めの数小節でもう感情がこみ上げてきて涙が出てしまう。
 春風の中の花びらのように、時間にもてあそばれるこの娑婆塞ぎ。思いやりも助け合いもなく、俗物たちが闊歩する現の社会。温かいはずの春はどんどん弱まっていく。代わって強まる季節は夏。厳しい酷暑の夏か。
2008/04/03 黄色:黄の色。中央を表す色とされる。 
080403黄色 JR宇都宮線。車窓からところどころに満開の桜を見るのも楽しいが、線路沿いに続く菜の花には、思わず目を奪われる。
 この時季、桜以外の花を話題にしてもほとんど関心を呼ばない。しかし、のどかな田園風景が広がる中に光り輝く黄色い帯は、気狂い沙汰の桜見物とは全く趣が異なる美しさである。時間が許してくれるなら、電車を降りてこの川沿いをゆっくり歩きたいものだ。
 春は黄色が似合う。秋の黄色とは全然違うこの輝きはなぜなんだろう。花の周りの若葉の緑と少し枯れた色の混じった秋の葉の違いだろうか。溌剌とした、しかし落ち着きのある明るい黄色である。
 ガラガラの車内。靴を脱いで椅子の上に脚を伸ばし、春の黄色を満喫する贅沢を味わうのである。
2008/04/01 他人事:自分とは無関係な、他人に関すること。 
080401他人事 今日から新年度に入る。その最初の日はウソを言ってもよい日とされている。4月馬鹿とはこの日にかつがれた人のこと。他の日にウソをつくと、エンマ様に舌を抜かれるのである。ところが、スペアを持っているので平気な方々もいる。
 自民党をぶっこわす…ウソだった。年金完全支払い…ウソ。道路特定財源は道路だけに使用…ウソ。国民を守るイージス艦…ウソ。憲法遵守…ウソ。世界平和貢献…ウソ。公約違反なんかしていない…ウソ。ウソ。ウソ。
 2年前に強行採決した後期高齢者医療制度というのが今日から始まった。また貧困層から金をふんだくるんだと。そうしないと今の医療制度が破綻するんだと…ウソ?臭い。
 民間企業ならまず改善で徹底的なムダ取りをしたりシステムを変えたりするのが普通。官僚やエッラーイ先生方は現状維持と金をふんだくることしか能がない。
 進歩とは変わることなり。この国に進歩なんてあるのか?
2008/03/28 桜満開。ほとんどの日本人がおかしくなる時季。
 桜、桜、どこもかしこも薄いピンクの華やかさ。みんな染井吉野という同じDNAのクローンなのに、よく見ると一株一株で個性にバラツキがあるのが自然界の不思議で面白いところ。このマンガは5年前の4月の作だから、確かに今年は開花が早いんだな。温暖化?そうかもね。

  →ひげじいは 午後の絵本 に収録しました。
2008/03/25 躾:しつけ。礼儀作法を身につけさせること。 
080325躾 朝の散歩でのこと。
 ちょうど新聞を取りに出てきた幼女が「こんにちわ」と挨拶してくる。就学するかしないかくらいの歳だろうか。「朝はおはようだよ」と言うと、「おはよう」という小さな声。
 たったそれだけのことなのに、挨拶はとても気持ちが良い。なんといっても挨拶はただだ。こんなに安上がりで良い気持ちになるものは他にはない。にもかかわらず、挨拶ができない人が多くなった。
 近所でも顔を合わせて挨拶するのはお年寄りやご婦人だけ。野郎はダメだね。こちらから挨拶しようと顔をむけても、わざとらしく気付かない様子でよそを向いたり物陰に隠れてしまう。ガキどももダメだ。おはようと言ってもジロっとこちらを見るなり走って逃げていってしまう。
 そんな昨今、この子の親はちゃんとしつけをしているなあと感心しながら通り過ぎた。・・・でも、ちょっと待てよ?と振り返る。もうその子の姿はない。こちらは見ず知らずの怪しげな男なのに・・・殺人やら誘拐やら物騒なこの時代、子供へのしつけといえば、よその人には気をつけなさいっていうのが普通だろう?
 そのうち、あの子も挨拶しないガキの一人になるんだろうな。結局、挨拶できない世の中にしているのはわれわれ自身なんだろうかと、そんなことばかり考えて帰宅した。
2008/03/22 馨:かおり。良いにおい 光:ひかり。 
080322沈丁花 雨戸を閉めに縁側に出ると、夜のとばりに包まれた庭全体を満月が青白く照らしている。
 この香りは沈丁花。珊瑚樹の奥に植えてあるので縁側からは花を見ることができない。だから、あたかも月の光がこの香りを誘い込んでいるような、あるいは、香り自体が光っているような不思議な感覚に陥る。
 この感覚はかなり古い記憶の中に強く残っていて、そのせいだろうか、今でも花の香りがするとどこからか光が差しているような印象に囚われてしまう。
 沈丁花は青白い月の光、梅は曇天の柔らかい光、水仙は陽だまり、フリージアは少女を照らす木漏れ日・・・。それらは全く自分勝手な想像でしかないが、そんな香りと光のアンサンブルがあふれる季節が春だ。
2008/03/20 知的:知性の豊かなさま。彷徨:さまようこと
080320知的彷徨 アーサー・C・クラークさんの訃報を聞いた。20世紀を代表する3大SF作家の最後の一人だった。
 私も大半のファンと同様、最初に彼の作品に接したのは、映画「2001年宇宙の旅」(スタンリー・キューブリック監督)だ。もっとも当時まだ十代のガキだった私には難しすぎてほとんど理解できなかったが、画面全体に広がる宇宙と荘厳なクラシック音楽が織り成す幻想的な映像に衝撃を受けたものだ。
 邦画名では宇宙の旅だが、原題はスペース・オデュッセイである。オデュッセイとはギリシャの詩人ホメーロスによる叙事詩で、転じて波乱万丈の旅を表すようになり、さらに精神的漂泊とか知的彷徨といった意味を持つようになった。つまり単純な宇宙冒険物語ではなかったのだ。
 彼らの作品は文学である以前に学問の解説書みたいな重さがあった。私の勝手な印象では、ハインラインは社会学、アシモフは自然科学、そしてクラークは哲学という感じ。そういう読み応えのあるSF作品に出会うことが少なくなった。今は頭を使わないお伽話みたいな感じでないと一般受けしないんだろうな、きっと。
 夢と学問の先導者に合掌。 
2008/03/19 枕:まくら。
080319枕 枕は寝るときに頭を支えるものだが、前置きなんていう意味もある。
 例えば、和歌の枕詞、あるいはくだけたところで落語の枕にしても、次に続く話を想起させるきっかけとして語られる。彼岸になり、学校も休みに入るこの時期は、4月新年度が始まる前の枕ということだろう。
 さて、今この枕に語られていることと言えば、大恐慌の不安さえ囁かれる急激な円高・株安・物価高、それを放置したまま何もできない政治の体たらく。隣国では平和の祭典を前に、なにやらキナ臭い話が聞こえてくるし、こんな枕ではこの先景気の良い話に続くとは到底思えない。
 春眠暁を覚えず。唐代の詩人孟浩然の有名な一節では、春の夜は寝心地が良くて夜が明けても目が覚めないという。時代錯誤の中華思想と息苦しい共産思想の雑炊みたいになってしまった国に、昔はこんな風雅な文化人がいたんだよなあ。
 本当はいつまでも枕が恋しい春の床。しかし、世の中こんなにバカバカしい話ばかり増えてくると、どこが寝心地が良いもんかと愚痴のひとつも言いたくなる。これじゃ、皮肉を言うぐらいしか面白がれないじゃないか、バカヤロー!
2008/03/14 紅梅:紅色の花の梅。
 紅梅が満開になった。
 甘い蜜を求めてメジロやヒヨドリが紅の花を突きに来る。殊にメジロの可愛らしい緑色との取り合わせは、眺めて飽きることがない。こんなに鮮やかな彩りなのに、どこかしら落ち着いた風情があるのは日本古来の重ねの色目だからだろう。
 この時期、散歩に出ると道行く先に梅の良い香りが漂っていて気持ちが良い。今週末はどこの梅園も満開で大勢の客で賑わうに違いない。
 しかし、花の色というとどこの梅林でも白が主で、ところどころ薄いピンクの株が混じっているものの、紅はほとんど目立たない。古典文学に出てくる梅は紅だと聞いたことがある。花札の図案なんか緋色に近いくらいの赤で描かれているし、梅は本来紅梅だったのではと思う。京都や奈良の梅林はどうなんだろう。
 紅色。「くれない」と読むこの色は、平安朝以前は金に匹敵するほど贅沢なもので、奢侈と特権の象徴であったとものの本に書かれてある。望んでも満たされない憧れの色であったとも。
 そんな予備知識を頭に入れて、朝餉の最後に赤い梅干を口に入れると、なにやらすごい贅沢をしたような気に・・・なるわけないか・・・。
2008/03/12 俗物:名誉や利益だけにとらわれている人物。 
080312俗物 変な言い掛りはやめて頂きたい。私たちは常に国民の幸福でなく自分自身のために知恵を出し汗を流しておるのです。
 道路作りのために皆様からお預かりしたお金で、お役所の方々に豪華な旅行をして頂いていますし、こうした方々には退職後も安定した高収入を保証させて頂いております。また、年金の名寄せにつきましては、経費節約のため低賃金で日本語のわからない外国人を雇って進めております。いつか適当な時期に終わりにしますからご安心ください。
 円高・株安・石油高等景気に関わる問題はすべてアメリカ次第で、皆様を裏切らないことは決してございませんのでご安心ください。少子化、環境問題等々につきましても、我々を信じてお任せいただければ必ず従来と変わらぬ結果を出し続けます。なお、衆議院の解散は皆様が絶望して政治に関心がなくなるまではございませんのでご安心ください。
 え?北海道の極寒の地で80歳のばあさんが一人、月5万の年金だけで暮らしている?ほう、それは大変ですねぇ。まあ、今は誰もが苦しい時ですからねぇ。我々だって死にもの狂いなんですよ。
 まずは、日銀総裁人事、道路財源現状維持、その他もろもろの議案に一日も早くけりをつけたいのですが、野党が参議院の多数の横暴でバカなことばかり言うんで困っているのですよ。ここは皆様のお力でなんとかして頂けませんかねぇ、見返りになることは決してしませんから。
2008/03/08 青空:青く澄んで見える空。 
080308青空 弥生三月、日毎に春の気配が濃くなっていく。それでも朝の空気はまだひんやりして、見上げる空はこれでもかと言わんばかりの青一色だ。
 お天道様がまぶしくて色がわからない光が、上に向かうに連れて金色になり橙色になり黄色になり白くなり、少しずつ青味がかって、その青が深くなって、もっともっと深くなって西の空に落ちていく。
 丹沢の向こうにちょこんと顔を出す白い峰。柴犬を連れた爺さんが手を合わせて拝んでいた。昔からこの島国に生まれた人はみんなそういう気持ちで富士を眺めたんだなあ。
 突然この青い色に吸い込まれるように意識が空に舞い上がり、どんどん地上から離れていって、地平線はもはや直線でなくくっきりと円弧を描くようになる。見下ろせば夜と昼の境目の中に島国の形がくっきりと浮かび上がり、富士が小さな星のようになって輝いている。よく見れば白い点は一つだけでなく幾つも見えている。あれは飛騨連峰、あれは八ヶ岳、あれは・・・あれは・・・。
 景色が楽しい時はいつも、心は同じところに留まらない。特にこんなふうに自然の色が鮮やかな時は。
2008/03/03 蜜柑:ミカン亜科ミカン属の樹または果実の総称 
080303蜜柑 蜜柑。みかん。かわいらしい名前の果物だといつも思う。
 実はジュースにした方が栄養吸収しやすいのだという。しかし、袋や白い筋も一緒に口に入れて、味と香りと噛み心地を同時に楽しむ面白さは蜜柑ならではのものだ。
 湯河原の梅を見物に行く道すがら。地元の農家が収穫した蜜柑がところどころ無人スタンドで売られている。少し汚れて見ばえの良くないブス蜜柑だが、手に取るとふんわり柔らかくて、それだけで味が良いのがわかる。実際、酸っぱ過ぎず変に甘過ぎず、蜜柑の味がしっかりしていて美味しい。
 以前、出荷前の農家で、大きさを仕分ける作業を見たことがある。手作りの仕掛けを使って次々とL・M・Sのサイズに分けられていくのが面白かった。この無人スタンドのはMとSが混ざっているようなので、本当は売り物にならないクズ蜜柑かもしれない。しかし、見ばえより本物の味を楽しめるのは生産者の特権。そのおすそ分けを少しいただく。
2008/02/29 閏:うるう。季節と暦を調節するための時間 
080229閏年 必ずズレやバラツキが出てきて、単純な計算どおりには納まらないから、現実というのは面白いんだ。
 地球が太陽を1周するのは365日と5時間48分46秒かかる。この余分の時間を4年分積むと23時間15分と4秒足らずになり、これを1日として4年に一度1年を366日として暦を調整するのが閏。1日24時間には44分と56秒余り足りないので、これを更に積んでいって適当なところでまた別の閏が発生する。
 今日は大叔母(祖母の姉妹)の誕生日。正月は84回迎えたが、誕生日はまだ21回目。もちろん、法律上は毎年2月が終わった時点で年齢加算されるので21歳ということはないが、したり顔でそんな固いウンチク並べるより、長澤まさみとか絢香なんかと同い年だよって笑っている方が楽しい。次の誕生日は本当は米寿だが、そんなお祝いより青春ど真ん中をぶっ飛ばせ!
2008/02/28 蘭:花の種類 爛:ただれること。まっさかり 
080228海老根蘭 毎年多くの愛好者を集めて開催されているという世界らん展(2/23〜3/2 東京ドーム)を見に行く。
 先日NHKの趣味の園芸でも紹介されていたせいか、平日だというのにかなりの客が会場を埋めている。良い香りが漂う鮮やかな色彩の競演は豪華絢爛の見事なものばかりだ。
 しかし、率直な感想を言うと、会場全体が妙に混沌としていて落ち着きがない。花の展示会というより産業物産展みたいな感じがして、だんだん頭が痛くなってきた。これは何なんだ?
 一つ一つの株は込めた丹精が伝わってとても素晴らしいのに、まぶしい人工の光の中でそれらがン十万、ン百万の値段を主張して格闘乱舞しているのだ。そうか、ここは野球という戦いが行われる場だった。それに気付くと、なにやら花が哀れになってきた。
 うちの庭の隅にも毎年エビネが咲く。特に何も世話をしていないので、いつも目立たずに静かに咲く。その奥床しさが良い。
2008/02/26 犀:動物のサイ 
080226室生犀星 あるクイズ番組の問題。名前に動物が入っているこの有名人はだれか?。ヒントは「故郷は遠きにありて思ふもの」という詩で有名な作家。あなたは答えられるだろうか?
 このときの解答者は金田一秀穂さん。さすがすんなり答は出てきたのに、書く段になって「サイの字がわからない」とポツリ。
 えー!?日本語の神様と言われる人だよって思うところだが、わからないときはわからないとはっきり言う方が気持ちが良い。
 神様ということで常に完璧が求められるなんて、かわいそうだなあと思いつつ、まあテレビのバラエティなんだから関係ないかとムリに納得する。ガチガチの100点満点より、少しばかり不完全なところがあった方がホッとする。その方が人間らしいじゃないか。
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