| 庭先の博物誌 | 画・文:平澤 功 おもしろがりホーム |
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| 彼岸花:秋の彼岸頃に咲くヒガンバナ科の多年草。 | 080920 ひがんばな 080908 うつろい 080721 ねつげん 080713 かたつむり 080622 あじさい 080607 さつきばれ 080508 こずえ 080501 ひばり 080405 かぜ 080403 きいろ 080328 さくらまんかい 080322 かおり・ひかり 080314 こうばい 080308 あおぞら |
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彼岸花が目に付くようになってきた。曼珠沙華は赤い花という意味の梵語。日当たりの良い川原や土手に群生しているのは、まぶしいくらいの鮮やかな赤だ。 名前から抹香臭さが付きまとうが、花の形をよく見れば、華やかさのあるきれいな花である。園芸種も多く、水仙やアマリリスといった馴染みのある花が同じ種類と言うと少し驚いてしまう。 その彼岸花を、雑木林の暗がりで点々と咲いているのを見つけた。明るい日差しの中の赤と、あまりにギャップが大きく、かなりの戸惑いがある。幽霊花、死人花、捨子花等々、感じの悪い呼び方をされるのは、このアンバランスが不気味に感じられるせいだろうか。 秋の彼岸にきまって花開くのは植物の勝手だろうが、人はそれぞれの想いを込めてこの花を眺めるのだろう。 |
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| おすすめの出し物 | ||||||||
| (2008/09/20) | ||||||||
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| 移ろい:状態が変化していくこと。 | ||||||||
白露。大気が冷えてきて露ができ始める候とされる。旧暦では秋真っ盛りでも、今どきはまだまだ油蝉がかまびすしく、ひと言、暑い。今朝もいつものように息を整えながら静かな住宅街を歩いていると、ふいに木犀の香りに気付いた。辺りを注意して見ると、白い銀木犀の花が咲いている。 銀木犀は金木犀の原種で金木犀に比べると香りが少ないと言われるが、どうしてどうして。懐かしい香りがしっかり秋の到来を告げている。 蝉の声と木犀の香り。夏と秋の象徴がひとつの時間の中に同居している面白さ。 ものごとは突然変わるのでなく、こうやって混沌としながらじんわりじんわり動いていく。それが普通の姿なんだなあと、当たり前なことに感心しながら、白露の朝を歩く。 |
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| (2008/09/08) | ||||||||
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| 熱源:熱を発しているもと。 | ||||||||
梅雨明け十日などと言って、梅雨が明けてからしばらくは大気が安定して好天が続く。体が気候の変化に追いつかないために、この好天は猛烈な暑さに感じられることになる。それでも、うちの近所は比較的緑が多いせいか、明け方は夏掛けだけでは寒いくらいに気温が下がっている。そんな涼しさがもったいなくて、急いで朝の散歩に出る。 道路端に車が止まっているありきたりの光景。水を飲むために立ち止まると、風が汗の蒸発熱を奪ってとても気持ちが良い。ところが、この車、どの窓もぴったり閉め切って、エアコンを効かそうとエンジンをブンブンふかしている。 ガソリンが異常に高騰している昨今、こうやってエネルギーのムダ遣いをして、燃焼熱と温暖化ガスをバンバン放出して、なんとも思っていないドライバーの神経たるや、完全に私の想像を超えている。 しかし、陸橋の上から高速道路を眺めていると、当然ながら窓を開けている車は皆無で、つまりは酷暑の熱源はお天道様にあらずの感を強くする、夏の朝の散歩なのである。 |
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| (2008/07/21) | ||||||||
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| 蝸牛:カタツムリ。マイマイ。デンデンムシ。 | ||||||||
梅雨明け間近の早朝。ふと足元を見ると、アスファルトの上を大きなカタツムリがのろのろ這っていく。車が来たら一たまりもない。命がけの道路横断。アルプスの少女ハイジに出てくるヨーゼフが見たら、大喜びでペロっと食べてしまうところだ。 カタツムリは陸生の貝のことだ。日本には700種類もいるのだそうだ。ガキの頃は面白がって、触覚をつついてみたり、貝殻を取ればナメクジになるんじゃないかと残酷なことをやってみたりしたものだ。 そう言えば、カタツムリにはかなり危険な寄生虫がいるという話を聞いたことがある。レウコクロリディウムというややこしい名前で、人が寄生されると脳に入りここみ、死に至ることもあるというから恐ろしい。 こんなもの、よく平気でいじっていたものだと思いつつ、インターネットでいろいろ調べてみたら、その寄生虫が日本で見られるようになったのは、ここ20年あまりのことで、原因はペット用外来種の飼育放棄によるものらしい。 人間の無責任が生活の中に危険をもたらしている一例。 |
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| (2008/07/13) | ||||||||
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| 紫陽花:ユキノシタ科の観賞用落葉低木。 | ||||||||
梅雨時のアジサイ。当たり前すぎて、散歩道に咲いていてもほとんど意識することがない。たまに、庭先に咲くセイヨウアジサイの鮮やかな青やピンクが目に飛び込んでくるが、なぜかバタ臭い感じがして面白みがない。 少し意識して歩くと、藪の中にガクアジサイの株が続いていた。ガキの頃はちっともきれいだと思わなかったが、花びらのように見えるガクが円く並んだ中に、小さな粒上の花が南京玉のように集まっていて、花の冠のような何とも言えない味わいをかもしだしている。 漢字で紫の陽の花と書く。が、紫と言うより青やピンクの花という印象が強い。土が酸性だと青に、アルカリだとピンクになるのだという。リトマス試験紙と逆なのが面白い。 九州で大雨というニュースが聞かれるようになると、梅雨もいよいよ後半だ。うっとうしい曇天の下、あちこちにあるアジサイ寺とかに行きたいとはこれっぽっちも思わないが、今がこの花の最盛期なんだろう。 頭の上をヒヨドリが鳴いて飛んでいった。 |
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| (2008/06/22) | ||||||||
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| 五月晴:梅雨の晴れ間。 | ||||||||
梅雨のさ中の数時間とか1、2日くらいの好天が五月晴。梅雨どきは旧暦で5月頃なのでこう呼ばれる。当然湿気が多くてからりとした天気ではないが、長い雨期の貴重な晴れ間なので、気持ちの良い天気の代名詞のように言われる。お天道様が空の最も高い軌道をたどるので、実は紫外線が最も強い時季。雨上りの若葉が朝日に照らされて、良い塩梅に日除けになっている。重なり具合でいろいろな緑の光に変わるのを眺めていると、時間がたつのを忘れてしまう。 今月は環境月間。それにちなんだイベントが、あちこちで盛んに行われているが、1ヶ月だけお祭り騒ぎして解決する問題でもあるまい。それにかこつけた業者の稼ぎどき。 庶民ができるエコと言えば、節約とかムダの削減といった例がよく紹介されるが、まるで企業の原価低減活動とそっくりだ。それがごく自然にできる社会になれば良いのに。 どんなに生活が便利になっても、表向きエコを旗印にして、食糧不足やエネルギー危機をもたらすような金儲けをしていたら、いつかきっと自然からしっぺ返しを食らうに違いないんだ。いや、もう食らっているんだろうな・・・ 小さな緑のブースの中でそんなことを思う。 |
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| (2008/06/07) | ||||||||
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| 梢:樹の幹や枝の先の部分。 | ||||||||
花が散って葉桜になっても、まだ祭りの余韻が残って落ち着かなかったのが、連休を過ぎると街の雰囲気がガラッと変わってホッと一息つく。花々の彩りはやや控え目になり、新緑に覆われる散歩道。晴れた朝に木立の中を歩くのはなんて良い気分なんだろう。何もかもが生き生きとしていて、そのくせ、こないだまでのような上調子ではないから、一歩一歩しっかり前に進む感じがする。 気持ち良くて自然に歩が速くなり、乾いた空気が初夏の風となって顔に当たり微かに薫る。男の精液に似たこのにおいを女性はどう感じるのだろう。男性である私には下品な淫靡さよりも若い生命の息吹きに感じられるのだが、それは勝手な思い込みだろうか。 立ち止まって梢を見上げる。折り重なる若葉が光をさえぎって緑の影模様となり、風に柔らかく揺れている。その先に見える空。希望という光の色。 一年で一番好きな季節。 |
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| (2008/05/08) | ||||||||
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| 雲雀:ひばり。 | ||||||||
朝方少しぐらい曇っていても、さっぱりした空気の感触でこれは良い天気になるなとわかるのが、春の季節だ。つい最近まで雑木林の中の細い道だった散歩道が、工事のために通行止めになったかと思うと、あれよあれよと丸裸の造成地に姿を変え、個性のない高級集合住宅がそこら中を覆ってしまった。新聞の折込広告は不動産のものがやたらに増えて、ポストに入らないくらいだ。 灰色の広い舗装道路になったのに車の姿はほとんどなく、高級集合住宅の窓に生活を感じさせるような気配もない。子供の声が全然聞こえないし、本当に入居者がいるのだろうかとさえ思ってしまう異様な光景。 申し訳程度に作られた小公園の先に広い空き地が残っている。ここにも住宅建設予定地の看板が無表情に立っている。金網の向こうに重機が工事の始まりを待っている。 そう言えば、さっきから高い空でけたたましくさえずっている、あの鳥は雲雀だ。きっと、この空き地のどこかに巣があるのだろう。まもなく彼女にとって驚天動地の大工事が始まるのを知る由もなく、途切れることのない鳴き声は、何を歌っているのだろう。 「一升貸してニ斗取る利取る利取る・・・・・ |
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| (2008/05/01) | ||||||||
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| 風:空気の流れ。なりゆき。ならわし。 | ||||||||
チェリーロードの信号待ち。車の中に舞い込むひとひらの花びら。そのまま風に乗って反対の窓から出て行った。大抵の人にとって、音楽といえばポップスであり歌謡曲であり、ロック、ジャズ、クラシックあたりまでがメジャーなのであって、合唱なんていうと残念ながら好きな人は極端に少なくなってしまう。 その合唱曲の中に「心の四季」(吉野弘詩・高田三郎曲)という名曲があって、花吹雪を見ると、ついその歌を口ずさんでしまう。花びらが舞い落ちて春が弱まるという不思議な表現で無常の時の移ろいを語っている。初めの数小節でもう感情がこみ上げてきて涙が出てしまう。 春風の中の花びらのように、時間にもてあそばれるこの娑婆塞ぎ。思いやりも助け合いもなく、俗物たちが闊歩する現の社会。温かいはずの春はどんどん弱まっていく。代わって強まる季節は夏。厳しい酷暑の夏か。 |
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| (2008/04/05) | ||||||||
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| 黄色:黄の色。中央を表す色とされる。 | ||||||||
JR宇都宮線。車窓からところどころに満開の桜を見るのも楽しいが、線路沿いに続く菜の花には、思わず目を奪われる。この時季、桜以外の花を話題にしてもほとんど関心を呼ばない。しかし、のどかな田園風景が広がる中に光り輝く黄色い帯は、気狂い沙汰の桜見物とは全く趣が異なる美しさである。時間が許してくれるなら、電車を降りてこの川沿いをゆっくり歩きたいものだ。 春は黄色が似合う。秋の黄色とは全然違うこの輝きはなぜなんだろう。花の周りの若葉の緑と少し枯れた色の混じった秋の葉の違いだろうか。溌剌とした、しかし落ち着きのある明るい黄色である。 ガラガラの車内。靴を脱いで椅子の上に脚を伸ばし、春の黄色を満喫する贅沢を味わうのである。 |
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| (2008/04/03) | ||||||||
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| 桜満開。ほとんどの日本人がおかしくなる時季。 | ||||||||
桜、桜、どこもかしこも薄いピンクの華やかさ。みんな染井吉野という同じDNAのクローンなのに、よく見ると一株一株で個性にバラツキがあるのが自然界の不思議で面白いところ。このマンガは5年前の4月の作だから、確かに今年は開花が早いんだな。温暖化?そうかもね。→ひげじいは 午後の絵本 に収録しました。 |
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| (2008/03/28) | ||||||||
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| 馨:かおり。良いにおい 光:ひかり。 | ||||||||
雨戸を閉めに縁側に出ると、夜のとばりに包まれた庭全体を満月が青白く照らしている。この香りは沈丁花。珊瑚樹の奥に植えてあるので縁側からは花を見ることができない。だから、あたかも月の光がこの香りを誘い込んでいるような、あるいは、香り自体が光っているような不思議な感覚に陥る。 この感覚はかなり古い記憶の中に強く残っていて、そのせいだろうか、今でも花の香りがするとどこからか光が差しているような印象に囚われてしまう。 沈丁花は青白い月の光、梅は曇天の柔らかい光、水仙は陽だまり、フリージアは少女を照らす木漏れ日・・・。それらは全く自分勝手な想像でしかないが、そんな香りと光のアンサンブルがあふれる季節が春だ。 |
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| (2008/03/22) | ||||||||
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| 紅梅:紅色の花の梅。 | ||||||||
紅梅が満開になった。甘い蜜を求めてメジロやヒヨドリが紅の花を突きに来る。殊にメジロの可愛らしい緑色との取り合わせは、眺めて飽きることがない。こんなに鮮やかな彩りなのに、どこかしら落ち着いた風情があるのは日本古来の重ねの色目だからだろう。 この時期、散歩に出ると道行く先に梅の良い香りが漂っていて気持ちが良い。今週末はどこの梅園も満開で大勢の客で賑わうに違いない。 しかし、花の色というとどこの梅林でも白が主で、ところどころ薄いピンクの株が混じっているものの、紅はほとんど目立たない。古典文学に出てくる梅は紅だと聞いたことがある。花札の図案なんか緋色に近いくらいの赤で描かれているし、梅は本来紅梅だったのではと思う。京都や奈良の梅林はどうなんだろう。 紅色。「くれない」と読むこの色は、平安朝以前は金に匹敵するほど贅沢なもので、奢侈と特権の象徴であったとものの本に書かれてある。望んでも満たされない憧れの色であったとも。 そんな予備知識を頭に入れて、朝餉の最後に赤い梅干を口に入れると、なにやらすごい贅沢をしたような気に・・・なるわけないか・・・。 |
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| (2008/03/14) | ||||||||
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| 青空:青く澄んで見える空。 | ||||||||
弥生三月、日毎に春の気配が濃くなっていく。それでも朝の空気はまだひんやりして、見上げる空はこれでもかと言わんばかりの青一色だ。お天道様がまぶしくて色がわからない光が、上に向かうに連れて金色になり橙色になり黄色になり白くなり、少しずつ青味がかって、その青が深くなって、もっともっと深くなって西の空に落ちていく。 丹沢の向こうにちょこんと顔を出す白い峰。柴犬を連れた爺さんが手を合わせて拝んでいた。昔からこの島国に生まれた人はみんなそういう気持ちで富士を眺めたんだなあ。 突然この青い色に吸い込まれるように意識が空に舞い上がり、どんどん地上から離れていって、地平線はもはや直線でなくくっきりと円弧を描くようになる。見下ろせば夜と昼の境目の中に島国の形がくっきりと浮かび上がり、富士が小さな星のようになって輝いている。よく見れば白い点は一つだけでなく幾つも見えている。あれは飛騨連峰、あれは八ヶ岳、あれは・・・あれは・・・。 景色が楽しい時はいつも、心は同じところに留まらない。特にこんなふうに自然の色が鮮やかな時は。 |
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| (2008/03/08) | ||||||||
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