コンセプトは ”どうしたら面白くなるか?” 気ままな雑記帳 画・文:平澤 功
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2009年の年賀状 090101 ねんがじょう
081222 しょうじはり
081211 のんびりだつめたぼ
081208 ぼうよう
081201
こういん
091125 げんそくとうこう
081114
けんりょくのひんかく
081109 いけん
081106 へんかく
081030 はしおき
081028 れんれん
081025 げんりょう
081022 とらにおそわれる
081017 めいちゅう
081016 おんせんくみ
 明けましておめでとうございます。
 今年の年賀状です。恒例の年賀クイズは「違い探し」にしました。左の絵と右の絵とで15個の違いがあります。さて、すべて見つけられるかな?
 「違い探し」であって「間違い探し」ではありません。「違い」とは同じでないことです。当たり前のこと、そして、とても大事なことです。「間違い」とはあやまち、しくじり、異常な出来事のこと。だから、「間違い」があっては困ります。
 でも、世の中「違い」と「間違い」を間違えている人が沢山いて、差別をしたり憎みあったりイカサマをしたり人殺しをしたりしています。今に天罰が下るに違いない、と思っていたら、去年は本当に下ってしまいました。
 年を越しても、相変わらず同じ発想をしていたら、経済も社会も間違いなく破滅への道を歩き始めるでしょう。今までとは違う発想で、新しい希望を見出し、勇気をもってこの難局を乗り越えていかなければなりません。
 去年とは違う年にすること。これは世界共通の今年のテーマです。

違い探しの答え
@牛の右角 A牛の右耳 B牛の左目 C牛の口 D牛の尻の模様 E牛の尻尾 F牛に掛かっている看板 G女の子の帽子 H女の子の靴 I女の子が持っているバケツ J男の子の左手 K男の子の脚の組み方 L乳しぼり用の腰掛 M左後方の草 N小鳥と蝶

おすすめの出し物
品質でもうけなさい…品質「補償」活動・「お祭り」品質管理に決別を!品質問題の本質と解決の考え方を豊富なイラストでやさしく解説します。 改善提案名人に挑戦!…生産改善のコツを楽しい物語で解説。
備忘録めもらんだむ・・・常時工事中です。歯抜けでも差し支えなければどうぞご覧ください。 午後の絵本…オリジナルのイラストです。ヒマなときにどうぞ。
(2009/01/01)
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障子張り
 昔は、障子に穴をあけたりしたら、桜の花形に切った半紙を貼って直した。新品のまっさらな障子とは比べるべくもないが、それはそれで味わいのある部屋の雰囲気を作っていたような気がする。そんな洒落た補修を施すこともなく、ビリビリに破けて拉致もない姿になっていた茶の間の障子を張り替えた。
 障子張りと言えば、祖父の仕事には子供心にすごいと思ったものだ。戸塚の家は古い大きな家で、家中の障子・襖を一人で張り替えていた。小麦粉と水でのりを作り、人の手も借りずにピンときれいに張っていたのだから、私には職人芸を通り越して名人技、神技のように思えた。
 今は、障子紙を買うと専用のりが付いてくるし、セロテープで仮止めできるので素人でも容易に張ることができる。業者に頼むと一枚で何千円も取られるというから、自分でやらなくてはもったいない。
 とはいえ、祖父の足元には及ばなくても、せめて見苦しくない程度には張れるかというと、そう甘いものでもない。紙の真ん中にのりを付けてダメにしたり、端っこを切り損なったりと悪戦苦闘している内に、腰が痛くなってきた。なんだか外のヒヨの鳴き声も気になって集中できない。
 自分の技量の不甲斐なさにブツブツ文句を言いながら、それでも何とか全部張り終えた。ふーっと息を吐いて伸びをする。どうだ。まずまずの仕上がりではないか。よーし、これで障子だけはひとまず正月準備完了でい。
 西洋人は、紙の家に住んでいるといって驚くが、薄い紙を仕切りに花鳥風月に触れ、季節の移ろいを愉しみながら暮らしている日本人の奥床しさを理解できまい。

 張り替えの障子を突くや鳥の声

(2008/12/21)
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のんびり脱メタボ
 色々と話題になったメタボ検診を受けた。
 へそ周り85センチ以上で、高血圧、高脂血症、高血糖のいずれか2つ以上あると、メタボリック症候群と診断されてしまう例のやつである。予約が混んでいて、やっと昨日受けられた。
 去年の今ごろは、へそ周りが87〜88センチくらいあったし、BMIも26を超えていた。血圧は以前から降圧剤をのんでいたが、140の90を下回ることはなかったし、血液検査でいつも中性脂肪、血糖値に赤信号、おまけにγーGTまで黄色信号が出ていた。これでもひと頃に比べたらかなり良くなっているのだが、立派なメタボである。

 それまでは、ジョギングをしたり水泳をしたりと努力はするものの長続きせず、結局食生活で体重コントロールするくらいが関の山だった。しかし、メタボ検診に引っ掛った挙句、改善指導なんかに金を払うのも癪にさわるので、せめて朝の散歩くらいは続けてみようと始めたのが去年の今ごろ。とにかく続けることを第一に考えて、どうすれば飽きないかだけを考えて、ゆっくり・のんびり歩くことにした。
 その結果・・・。 へそ周りはなんと81センチ!!BMIは23で、血圧も高めに出る冬場で120の80。血液検査の結果は数日後という話だったが、ちょうどひと月前に通院した時の結果が出ていて、文句なしの数字に医者からも太鼓判をいただいた♪ 


 妙なダイエットやムリな運動を繰り返して挫折を味わうより、常識的なことを愉しく続ける方が確実な成果が得られると実感する。今では、早朝散歩が1日のリズムの中にきっちりはまっていて、歩かないとかえって気分が乗らない。
 十分な睡眠と毎日の軽い散歩、食事はよく噛んでバランスよくとる・・・この程度なら、誰にでもできる。そう考えたら特に自慢することでもないのだが、でも、やっぱり良い気分♪
(2008/12/11)
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茫洋
 軍艦のような雲を見た同じ場所からの茫洋とした空。撮影日は4日前だが、何となく気になったので取っておいた写真だ。今や、政治も経済も社会生活も不満と不平に満ち溢れ、日々がこの空と同じようにはっきりとしない不安に包まれている。思いがけず先月の軍艦という記事にコメントをいただいたので、今日という日に寄せて何か書いておこうと思う。
 12月にある特別な日というと、どんな日を思い浮かべるだろうか。無論、誕生日や命日などのように個人的に特別な日もあるだろう。それ以外に思うとすれば、まずはクリスマス。それから大晦日、冬至。祝日なら23日が天皇誕生日だ。あとは14日の赤穂浪士討ち入りぐらいだろうか。
 今日は8日。8月15日の時もメディアは全く取り上げなかったので期待などしていなかったが、予想通り、今朝の新聞・TVでも何のコメントもなかった。
 そのとき、どこでそれを知ったかと母に尋ねたら、自分はまだ小学生で、校庭に並んで先生の口から聞かされたと言っていた。みんながバンザイしていたとも・・・。アメリカ人なら忘れることはない。リメンバー・パールハーバー、つまり開戦記念日。決して無視できるような軽い日ではないのだ。
 わが国は唯一の被爆国として核の脅威と戦争の悲惨さを語り、毎年その日を忘れまじと世界に訴えている。それは良い。それは良いのだが、同時にわが国がたどった忌まわしい記憶を残さずにいて何が平和国家だ、何が国際貢献だと批判されても反論ができない。
 自虐史観と言って戦後を否定し、古い国家観を美化する風潮が若い世代に受けている。しかし、自虐史観を振り回す輩こそが自虐的に考えているのではないのか。私など半世紀以上も戦争をせずに平和を維持してきたことを誇りに思いこそすれ、自虐的とは少しも思わない。
 300年前の討ち入りは知っていても、70年前のニイタカヤマノボレを知らない世代が大勢を占める時代。これから戦争を知る世代は少なくなり、その記憶はどんどん霞んでいく。戦争に関係のある日が1年にそう沢山あるわけでもない。なぜメディアはこういう日に歴史を学ぶ機会を提供しないのだろう。
 与党・総理の支持率急落がトップニュースの一日。相変わらず社会情勢は混沌とした中で、テレビをつければおバカなバラエティ番組ばかり。昨日と同じように時間が通り過ぎていく。本当にこれで良いのだろうか?

(2008/12/08)
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光陰:月日。歳月。移り行く時。
081201光陰 こないだ年が明けたと思ったら、もう最後の月を迎えてしまった。
 時間の経つのが速い。齢を取れば取るほど速くなるもんだとはよく言われるが、全くその通りだ。なぜなんだろう?なぜ齢を取ると時間が速く過ぎていくのか?
 こんなことを想像したことがある。
 つまり、人の頭の中には時間の定規があり、その長さは人それぞれ決まっていて、勝手に大きくなったり小さくなったりしない。その定規の中に時間の記憶が収められていく。
 例えば、それが10センチの定規とすると、1歳の赤ん坊の1年は10センチ。2歳になれば半分の5センチ、3歳になれば3.3センチ・・・齢を取れば取るほど1年の長さは短くなっていく。1年分の容量が小さいから、そこに収められる記憶量も少なくなる。よって、齢を取れば物忘れし易くなり、時間が経つのはますます速くなる。
 秦始皇帝も夢を追ったという不老不死。しかし、何百歳、何千歳ともなれば、考えるより先に時間がすっ飛んでいって、何が何だかわからなくなってしまうだろう。幸い、人間の平均寿命は70〜80年。このくらいでお迎えが来るくらいが丁度良いのかも知れぬ。
 老いとはそういうもの、死はむしろ究極の安息。なればこそ、今の時を悔いなく精一杯生きて生きて、ああ疲れたな、もう休みたいなと思った時にすうっと眠るようにあの世に行ければ最高だなと、まあ、そんな風に哲学者ぶってみたりしていた。
 ところがだ。こんな役に立ちそうにないことでもしっかり研究しているのが科学。
 まず、人がものを見て脳で認識するまで0.1秒かかる。これは動作研究(生産改善の手法の一つ)の、基本動作(指を動かす)の時間とほぼ同じだ。
 一川誠さんという千葉大の先生によれば、代謝が良くなるとこの認識時間が短くなって、実際の時間が過ぎるのが相対的に遅いと感じてしまう。逆に代謝が悪くなると認識時間が長くなり、そのために年を取ると時間が早く過ぎていくと感じてしまう。これが実験でも確かめられている。
 なるほどそうであれば、同じ仕事をこなすのでも、代謝が良い若い人ほど効率がよく、中高年は効率が悪いということか。ところがどっこい、実際には必ずしもその通りの結果にはならない。仕事の要領、熟練といったものが代謝の悪さを十分にカバーしてしまうからだ。経験というものをバカにしてはいけない。・・・時間の話がこんな結論になってしまった。ま、いいか。経験の重さというのは時間の重さでもあるのだから。
 ところで、熱中して時を忘れるとはどういうことなんだろう?時間が経つのが速いわけだから、代謝が悪くなっているのかな?でも、仕事に熱中していれば普通は効率も悪くないと思うが・・・。
 うーん、ちょっと頭が混乱してきたので、いずれ改めて考えるとしよう。

(2008/12/01)
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減速投稿
 このところブログの面白さにはまって、ホームページの更新が滞っている。1日2〜3本のブログ投稿は、少々調子に乗りすぎているかなと思い始めている。
 私の場合、下書きの後、納得がいくまで推敲を繰り返してから記事にするので、投稿するまでにやたらに時間がかかってしまう。投稿後数日経ってから修正をすることも稀ではない。それが、重くて退屈な記事にしているのは十分承知している。しかし、だからといって受けを狙うだけの軽い記事は書きたくない。その結果、興味をそそるブログになっているとはお世辞にも言えないわけだが、これが自分のスタイルなので変えようとは思わぬ。これからも言葉を大切にして丁寧にコラムを書いていきたい。

 ただ、実際の話、ここいら辺で少しブログを落ち着かせたいと思っている。ネタに困ることは全くないのだが、自業自得とはいえ推敲がきつい。そこで、今後の方針として、新規投稿は大体1〜2日に1本ぐらいのペースに落とし、テンポルバートで継続していきたい。コメントなどほとんどないので特に心配する必要もないが、記事に対して投稿されたコメントにはこれからも誠実に対応するつもりだ。
 こんなブログでも、いつも温かく応援していただいている方々には、いくら感謝しても足りないくらい。これに呆れずに今後ともどうかよろしくお願い致します。

(2008/11/25)
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権力の品格
 もう、呆れて文句を言う気力もなくなってきた。
 先代も先々代もひどかったが、現在の人物を内閣総理大臣に頂いている我々の最大の悲劇は、この国の最高権力者の権威と品格を完璧に失墜させてしまったことだ。
 政治が身近になったとか、わかりやすくなったとかいう前に、時の権力者はその責任を全うしてもらわなければ困る。社会保障の破綻、世界的な経済危機など、もはや我慢の限界を超えている。こんな時に政治ごっこが楽しくて仕方がないおぼっちゃまを、我々は最高権力者に選んだ覚えはないのだ。
 一体、この国は民主主義の国ではなかったのか。

(2008/11/14)
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意見
 戸塚二丁目(今の高田馬場)に住んでいたころ、街にはまだ角帽を被った学生が珍しくなかった。当時、参考書と一緒に朝日ジャーナルを小脇に抱えて歩くのが一つの流行だった。朝日ジャーナルというのは、言わば知性の象徴であり、そんな学生を見かけると子供心にカッコイイと思ったものだ。やがて、この悪ガキも上の学校に通い始め、ジャーナルを買うようになるのだが、難しくてほとんど理解できない。結局、それがただのファッションだと気付くに至るのである。
 社会人となって、たまたま朝日ジャーナルを手にする機会があった。相変わらず理屈っぽい記事のオンパレードだったが、不思議と読み進められる自分がそこにいた。オクテの世間知らずでもようやく世の中が見えるようになったということはある。しかし、正直、この頃の朝日ジャーナルは読み応えがあった。そして、その当時の編集長が筑紫哲也さんだったのだ。だから、ニュースキャスターという肩書きで語られてしまうが、私にとって筑紫哲也さんと言えば、朝日ジャーナルなのだ。
 この朝日ジャーナルという雑誌。当時も今も左寄りと色分けされているのはご存知の通り。筑紫哲也さんはその中心にいたわけだから、当然右側思想から強く攻撃されてもおかしくない。ところが、この人を非難する声を聞いたことがない。そもそも、右とか左というのは相対的なもので、朝日ジャーナルでさえ、当時の左翼勢力からすれば甘ちゃんのブルジョワ思想誌の一つに過ぎなかった。このことは、この雑誌が特定のイデオロギーに偏らずに、ジャーナリズムの本道を貫こうとしていたことを示していると思う。
 争いを好まず、厄介な事には手を出さないで傍観している一方で、ちょっとしたことにすぐ切れたり、匿名で異常なバッシングを平気でやる今の風潮。言葉尻だけで揚げ足を取ったり、一発ギャグで笑いを取るような軽薄なコミュニケーションには危機感すら覚える。そんな時代に多事争論というプログラムで一人カメラの前に立ち、敢然として自論を吐いていた姿は、ニュースキャスターとかコメンテーターというものではなく、紛れもないジャーナリストだった。
 論ずるということ。それはつまり、安易に他人に感化されることなく、自分で調べ、自分で考え、自分の意見を述べるということだ。こんなにカッコイイことはないと思わないか。それが筑紫哲也さんだった。
 最近は自分の頭髪にも白いものが混じるようになったので、密かにあのロマンスグレーの髪型を真似てみたりしたが、なかなか様にはならない。 また一人、あこがれの人が逝ってしまった。筑紫哲也さんに合掌。

(2008/11/09)
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変革:社会・制度など、変り改まること。変え改めること。
081106変革 次期アメリカ大統領がバラク=オバマ氏に決まった。それについて述べたところで、同じような論説・論評の二番煎じになるだけだから、少し違う観点を探して自分なりに感じたことを書いてみよう。
 アメリカ大統領選挙というのは4年ごとに行われる。また、下院は2年ごと、上院は任期6年で1/3の議席につき2年ごとに選挙が行われる。日本のように辞任とか解散ということはない。だから、いくら大統領がひどくても議会がハチャメチャでも、次の選挙まで国民はじっと耐え忍んで待つのである。つまり、彼らは2年あるいは4年という期間で政治を考えている。裏返せば、戦略を重視した政策を時間をかけて進めているということだ。
 かつて、日本の経済力が世界を席巻し、ジャパン・アズ・ナンバーワンともてはやされていた頃、日本企業の強さは長期的展望の下に経営を展開しているからだと言われた。目の前の1000円より5年後10年後の1000万を目指したわけだ。
 長期的展望と戦略。政治であれ企業経営であれ、これが強さをもたらすことは明らかである。ところが、ここ10年ほどは、目先の利益を求めて場当たり的な政策ばかりが暴走した世の中であった。結局残ったものは格差拡大と社会不安ばかりだった。
 今、目の前の1000円すらままならないくらい企業経営が苦しいのはよくわかる。しかし、だからと言って相変わらず刹那的な経営ばかりやっていたら、いつまでたっても事態を好転させることは不可能だ。悪口を言いたくはないが、思考回路が完全に錆び付いていて、長期戦略の話をバカにして聞く耳を持たない企業幹部が多いのだ。
 アメリカは変革を旗印にする若い大統領にこれからの4年を託した。しばらくは苦難の連続だろうが、長期戦略に立っていればいずれ成果を生むのは間違いない。
 日本には解散がある。しかし、今の総理大臣の言動を見るかぎり、衆議院議員の任期満了まで何も変わらないだろう。きわめて不満ではあるが、この際、我々はアメリカと同様にしっかりと次の4年を考えて変革の時を待つべきなのだ。企業はひたすら耐えるのみだが、今こそ体力を回復させるために発想を変えて行動する時なのである。
(2008/11/06)
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箸置き
 目でも楽しむのが日本の料理。それぞれの席の前に箸置きが置かれるだけで、質素なオカズが格調高い会席料理のようになる。箸置きとは、つまり、そんな雰囲気を作るもので、一度箸を手に取ってしまえば用済みだと思っていた。
 昔の話をすれば、狭い卓袱台の上に箸置きなんて邪魔なだけ。ただ箸の先を揃えて置くだけでも少しは行儀が良い感じになった。そして、一度「いただきます」を言えば、食事が終わるまで箸は動き続けるものだった。テレビに夢中になって箸が止まっていたりなどしたら、厳しく叱られたものだ。
 今でも外食などは、よほどに気取った店でない限り、箸置きなんて出されない。酒が入ればともかく、食べ始めたら最後まで箸は体の一部だ。
 ところで、健康に良いというので、最近はよく噛んでゆっくり食事をするように気をつけている。一口30回噛めと言われるが、これがなかなか難しい。食事に集中という躾が染み付いていて、さっさと食べ終わってしまう。箸を持っていると、どんどん料理を口に運んでしまうのだ。
 そこで、口にものがある時は箸を置くようにした。皿や茶碗の上でも構わないのだが、この小さな箸置きがなんとも使い心地が良いのだ。
 空の手は最初は居心地が悪かったが、慣れてしまえば気にならなくなった。その分、頻繁に料理をつまむことがなくなり、食事中の会話が増えた。結果、以前より食事の時間が倍以上も長くなったようである。
 減量の基本は入りを抑えて出を活発にすること。納豆とかバナナとか怪しいダイエットなんかしなくても、箸を置いて食べすぎを防ぎ、ぶらぶら散歩で余分な脂肪を燃やせば良い。減量がうまくいったのは、実は箸置きのおかげだと思っている。
 まず、箸を置こう。箸を置いて会話を楽しもう。今や箸置きは食卓に欠かせない。

(2008/10/30)
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恋恋
 ネット上で政治ネタを書く場合は相応の覚悟が必要である。与野党いずれであれ、少しでも批判めいたことを書くと、その支持者と思しき人から罵声に近い反発を浴びせられかねない。実際、こんな人気のないブログですら、不愉快極まりないコメントが来るのは異常としか思えない。多くの人が支持政党を明らかにせず無党派を名乗るのは、こんな一因もあるのではないだろうか。
 私も臆病者の無党派である。しかし、今日は覚悟を決めて思うところを書いてみよう。

総裁選での勢いと就任直後の支持率回復を武器に、一気に解散総選挙に打って出る思惑は見事に外れてしまった麻生政権。解散の機会が見出せないまま、世界的金融危機と猛烈な円高、株安の嵐に翻弄されて、身動きが取れなくなった。
 解散総選挙が必要な最大の理由は、小泉郵政選挙の圧勝後、国民の負託を受けていない総理大臣が3代も続いているということに尽きるのだ。衆参がネジレになっているとか、与野党の支持率が逆転しているということが理由なのではない。これらは単に今の状況を示しているに過ぎない。なぜなら、支持率は選挙期間中にひっくり返ることもあるし、選挙の結果ネジレは解消されるかもしれないからだ。
 ところが、昨今の深刻な経済状況では政局よりも政策が優先ということで、あっさり解散が先延ばしされてしまった。状況を示す「政局」と手段を示す「政策」とを並べて比較すること自体に論理的なムリがあるのだが、政治はしばしば言葉の遊びとなってそれが罷り通ってしまう。マスメディアも面白がってそれを受け流す。
 言われるとおり今は大変な時期だ。だからこそ国民に信任された政権が立って、大ナタを振るって欲しいとみんなが願っている。選挙を政治空白というが、今のままでは実質ずっと政治空白のままだ。どんなに大風呂敷を広げても、結局は小手先の対策しか打てないのは、だれの目にも明らかだ。解散総選挙は政局を安定させ、抜本的な政策を実行するための唯一最優先の手段なのだ。
 現状では自民敗北と言われている。それを恐れた先延ばしが国民の支持を得られるわけがない。政党助成金を受けてから解散などという、不届きな話も聞かれる。こんな話が横行するようでは、たとえ来年の9月まで与党の座に留まっていても、その後を考えると空恐ろしくなる。仮に自民党が下野して新しい政権ができたとしても、その後の受け皿となる自民党が崩壊することを、国民が望んでいるとは思えない。小泉純一郎は自民党をぶっ壊すと言ったが、本当に自民党が壊れたら国民が困るのだ。
 選挙に勝つための切り札として登場した麻生首相だが、どうしても一人権力を楽しみ、いつまでもその座に恋恋としている、ただの小男に見えてしまう。秋葉オタクのアイドルと自負し、少年マンガが政治に役立つと言い、高級ホテルの酒が安いと言い張る感覚は、どんな言い訳をされても、明日の生活にも不安を感じる庶民には受け入れがたいものだ。自民党は最後の最後にとんでもない人物をトップに据えてしまったのではないか。
 もはや経済はひたすら耐え忍ぶ以外に道はなくなってしまった。この上は、政治が変な方向に暴走しないよう祈るばかりである。

(2008/10/28)
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減量
 世界大恐慌前夜のような様相なのだそうだ。専門家でも先が読めない事態になっているのだという。もちろん経済専門家ではない自分は、不安に駆られるばかりで、何がなんだかさっぱりわからない。
 しかるに、報道解説や、ブログ、サイトをのぞいても、いやはや立派な先生方の立派なピーチクパーチク。要するに彼らはウンチクの多さをひけらかして自己満足を味わっているだけなのではないのか。「簡単を難しくするのが専門家」なんていう川柳があるくらいで、マジメに彼らの話を聞いていたらますます頭がこんがらがってくる。専門家を名乗るならシロートにもわかるような話をしろーって叫びたい。
 例えば、世界的金融危機の引き金がアメリカのサブプライム問題だったこと。その煽りが世界同時株安と雇用不安となって景気が後退していること。日本について見れば、欧米通貨より円が相対的に安全と評価されて円買いが進み、円独歩高となっていること。海外の消費低迷と円高で大手輸出関連企業が大打撃を受け、大幅株安につながっていること。資金繰りが難しくなり企業倒産の激増が懸念されること。輸入品の価格低下というプラス要素があるのに、政治に力がなく、内需拡大など有効な経済政策が何ひとつ打ち出せないでいること・・・等々。
 難しい言葉、カッコイイ表現を駆使して説明してくれて、結局この程度のことしか語っていない。何度も聞かされるから、さすがにシロートでもそらんじることができてしまう。まかり間違えば専門家の仲間入りだ。それより、みんなが知りたいのは、これから社会はどうなるのか?国は何をしてくれるのか?われわれは何をしたら良いのか?ということなのだが、専門家は相変わらずしたり顔で現状解説を繰り返すだけ。もう、勝手にやってろ。
 権力争いに明け暮れる政治家や威張りくさって金をちょろまかす役人どもに希望はない。この際、国民生活がどん底に陥るしかないなら、その覚悟をしろと言え。金がなくなり、つつましい生活しかできなくなれば、食べるものも質素になってメタボで悩むおじさんたちもめでたく減量に成功するだろう。経済破綻は国民の健康には良いかもしれん。
 なんて笑い話にもならんぞ、センセー方。
(2008/10/25)
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虎に襲われる
 夜更かしをしたわけでもないのに、目が覚めたらもう6時を過ぎていて珍しく朝寝坊をしてしまった。
 いつものように散歩に出て、いつもと同じように犬を連れた男とすれ違うところが、突然こちらに向かって犬が吠え掛かってくる。その姿が見る見るうちに大きな虎に変わって襲ってきたのだ。
 辛うじて虎の一撃を避け、あわててその場を逃げ出して茂みの中に身を隠したのだが、そうっと顔を出すとそこら中に虎を連れた散歩人が行き交っている。気がつけば自分も寝巻きのままで、こんな妙な格好で外を歩いているということは、こりゃ夢だなとわかった瞬間すーっと目が覚めた。
 夢なんて滅多に覚えてないが、今朝はやけにはっきりと残っていたので、興味本位で虎の夢について調べてみた。すると、夢の中の虎というのはなかなか縁起の良いものらしいのだ。気分良くさらに次の行に目を移すと、ただし書きになっていて、襲われる場合はストレスの象徴となって大きな不安を表しているのだという。
 まあ、巷にあふれる占いとか夢判断の類は科学的根拠が全くないものなので、内容が良ければ受け入れるし悪ければすぐ忘れるようにしている。夢自体が頭の中にあるランダムな記憶がその時々の心理をきっかけとして、コンピュータのデバッギングのように脳神経の中を流れていくようなものだと言うから、そんなに真面目くさって語るようなことでもない。
 しかし、ストレスが夢となって今の心理を表しているという話は、多少当たっているところもあると思う。
 そうじゃないか。世界的な金融不安で大恐慌の危機が叫ばれ、深刻なスタグフレーションが進行し、無差別殺人・親殺し・子殺しなど人心の荒廃、メチャクチャな行政と政治運営、このところ何ひとつ安心して生活できるようなニュースがない。まるで悪人どもの天国みたいな世の中になってしまっている。一度に4人も受賞したノーベル賞も盛り上がらないし、そもそもこういう世界にしないために科学は発達してきたのではないのか?
 何かしなくちゃいけないなぁと思いつつ、凡人では何もできない無力感でまたストレスが大きくなったみたいだ。血圧を測ったらいつもより少し高くなっていた。 あー縁起の良い方の虎の夢が見たい。
(2008/10/22)
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命中:目あてとする所にあたること。的中。
081016命中 歩いていると空からの落し物に見舞われることがある。それも一度や二度のことではない。
 もちろん気分の良いものではないが、それにしても実にタイミング良く命中させるものだ。まるで、自分のいる高さと歩いてくる人間の速度を正確に計算して、狙いを付けているみたいだ。
 鳥がいる電線の高さが地上15mくらいだとすれば、自由落下で地上まで到達するのに約1.75秒かかる。一方、人が歩く速さを時速5キロとすると、うまく命中させるには2.5m手前に差し掛かったところで投下ということになる。
 これ、高等学校で習う物理の話だから、カラスやムクドリはそこら辺のおバカタレントなんかより、かなり優秀な頭脳の持ち主と言わざるを得ない。
 実際は、人の姿が目に入ったところで驚いて脱糞ということなんだろうが、それにしても・・・
 散歩の時は電線の下を歩かないこと。これ鉄則です。
(2008/10/17)
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温泉汲み
 1泊2食付で2,550円という格安の温泉宿が伊豆にあるというので、面白半分にみんなで出かけた。
 着いてみると普通の旅館で、部屋も風呂も広くてきれい。では、食事はどうかと興味津々だったが、味は悪くないし、私個人としては不満はなかったとだけ言っておこう。
 久し振りにビールを飲んで酔いがまわり、早々と寝床に入ったせいか、翌朝4時にはすっかり目が覚めてしまった。空が白んでくるのを待って、いつものように散策に出た。
 川の土手が、シーズンならさぞ華やかだろう桜並木になっており、葉が少し色付きはじめている感じだった。あちこちに温泉を汲み上げるドラム缶のような設備があって、ボコボコ音を立てていた。湯量が豊富なようだ。
 朝風呂で汗を流した後、豪華な朝食をたっぷりいただいた。
 場所は・・・秘密にしておきましょ。満足するかどうかは人それぞれ。そういう旅館も探せばあるってことだ。
(2008/10/14)
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