コンセプトは ”どうしたら面白くなるか?” 気ままな雑記帳 画・文:平澤 功
おもしろがりホーム
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 日常生活の中で、気付いたこと、感じたことを気ままに書きなぐっています。
 時事や世相、新聞記事などで気になることも話題にして、エッセーにしました。


   vol.2 2008.10〜2009.01
   vol.1 2008.02〜10


 ※このコンテンツはブログの記事を再構成したものです。
090412 ぶあいそう
090409 こむらがえり
090309 つたえていくべきこと
090304 てきしつ

090217 こうがんむち
090214 えごころ
090211 せつめい
090205
りすとら
090202 ぞろめのひ
090129 ぶれてないずれている
090121 しんだいとうりょう
090117 さんだんろけっと
090114
どろぶね
090107 ななくさがゆ
090103 かれーらいすとこーひー
おすすめの出し物
  品質でもうけなさい…品質「補償」活動・「お祭り」品質管理に決別を!品質問題の本質と解決の考え方を豊富なイラストでやさしく解説します。 改善提案名人に挑戦!…生産改善のコツを楽しい物語で解説。
備忘録めもらんだむ・・・常時工事中です。歯抜けでも差し支えなければどうぞご覧ください。 午後の絵本…オリジナルのイラストです。ヒマなときにどうぞ。
  
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ぶあいそう
 先週の日曜、町田にある旧白洲邸を見に行った。そのときの写真を整理したので、まとめておく。
 旧白洲邸のある町田は武蔵国と相模国の境に位置し、昔から武相と呼ばれている。その地にある「武相荘」と書いて「ぶあいそう」と洒落て読む。
 8年ほど前に公開され、いつか行ってみようと思っていたのが、最近NHKで白洲次郎のドラマが放映されたのがきっかけとなり、にわかにブームになっている。混雑を覚悟で来てみたが、花見の時季でそちらの方に客足が流れたせいだろう、存外空いていたのは有難かった。
 白洲次郎といえば、戦後の日本史を語る上で忘れてはならない人物の一人。この人がいなかったら、日本国憲法は成立しえなかったと言われる。妻の正子は元伯爵令嬢で、日本文化の保護に力を尽くした、というとお堅い感じだが、能楽師の追っかけをしていた跳んでるお婆ちゃんだった。
 考察は後にして、ひとまず中に入ってみよう。 


 鶴川街道平和台バス停のそばにユニクロがある。その脇に大きく武相荘入口の印があるので、そこから奥に入ればよい。
 坂を上って門をくぐれば建物はすぐそこにある。









 すぐ右手に母屋があるが、先に散策路を歩くことにした。
 母屋の正面の竹藪と石塔。シャガの花が一杯咲いている。









 散策路の入り口に置かれてある鈴鹿峠の道標。












 無造作に置かれてある狛犬。瓢軽な感じが愉しい。











 ひと回り歩いて戻ってきた先に見える母屋。ごく普通の農家である。











 母屋の入り口。ここで履物を脱ぐ。
 内部は撮影禁止となっていて、白洲次郎の家族ゆかりの品々や近衛文麿の書など歴史的な価値のある資料も陳列されている。
 多くの本に囲まれた書斎の窓に春の柔らかな光がとても印象的だった。







 母屋から出て目に入った石甕。












 見上げる茅葺き屋根には壽の文字が彫られている。











 どこか懐かしさの残る庭。
 ごく普通の農家と言っても、都会の雑踏に慣れてしまった人にとって、ありきたりな風景と言い切れるだろうか。









 喫茶室があり、抹茶やコーヒーが飲める。予約をすれば食事もできる。











 門のところにあった水場。
 椿がおあつらえのように鮮やかな赤を放っている。










 ざっと見て1時間ぐらい。
 昭和史に興味がある人にはたまらない時間だろう。そうでない人でも、静かな里の自然が残る庭は存分に愉しめると思う。大人の休憩所という感じだ。









 白洲次郎・正子について、ここでくどくど紹介する気はない。今は簡単に資料が手に入るし、専門のサイトも開かれているので、それらで知見を得てほしい。
 気になるのは、昭和史に対する今の人たちの関心の程度である。学校で学ぶ歴史の中に、現在に通じる最も近い出来事が抜けている。アメリカと戦争したことも知らない若者がいるという現実に、どういう言葉を返すべきかわからない。
 私自身は運良く親から話を聞くことができたけれども、忌まわしい記憶を甦らせるのを嫌い、黙して語らぬ人は少なくない。そして、その世代の人たちがどんどんいなくなっている。あるいは、テレビや文学でその一部に触れる機会もあるだろう。しかし、興味のない人にはまるで別世界の話だ。
 今の日本は自由の国だ。色々な思想、考えがあって良い。しかし、歴史を学ばずして、安易に今という時代を、未来を語るべきではない。
 愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ(ビスマルク)と言う。白洲次郎を学んでみると良い。教科書で読む杓子定規の昭和史ではなく、彼の人間臭さと共に、よりグローバルな視点で国が動いていった様を眺めることができるだろう。それは、きっと未来を考える力を養ってくれるはずだ。

武相荘の公式サイト  http://www.buaiso.com/

(2009/04/12)
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腓返り
 夜中に目が覚めてトイレに行って帰ってくると、キッチンで母がウンウン唸りながらストーブの前で足をさすっている。寝返りをした時に足がつって、痛くて寝ていられないのだ。昨年、いや一昨年ぐらいから、こんな風に夜中に起きることが多くなった。もともと睡眠が浅いと言うが、もう歳なので心配でならない。
 庭で草取りをしたり買い物などで長時間体を動かしたりすると、疲れがたまってつりやすいようだ。かといって、痛さを恐れて運動しないのはもっと体に悪いので、毎日必ず歩くことにしているが、坂の多い街で、ほどほどに済ますのもなかなか難しいという。
 私も、かつて運動不足のまま山を登って、とんでもない痛さに動けなくなってしまうことがしばしばあった。筋肉痛ではないので消炎剤は効き目がなく、筋を伸ばして我慢するしかない。あの痛さを思い出すと、尚更心配が募る。
 あるいは、急な冷えから血行が悪くなってつることもあるので、足湯などで温かくすれば多少は良くなるが、完ぺきではない。
 睡眠時につるのは、主にカリウム、マグネシウムなどのミネラルやビタミンが不足していると聞く。ところが、母の場合、もともと腎臓が悪くカリウムの大量接種は医師から制限されている。一方で早朝血圧が高いのでナトリウムを抑制するカリウムの接種は欠かせないというジレンマがある。運動のことも数えればジレンマの二乗だ。
 足がつることは医師にも相談しているし、セカンドオピニオンでも同じ指摘がされているので、それに従うしかないのだが、睡眠不足だけは避けられないものかといつも思う。食事の後、テレビを付けっ放しにしてコックリコックリしていることが多いのだ。

(2009/04/09)
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伝えていくべき事
 そこには大きなビルが建って、昔の面影など影も形もなくなってしまった。かつてそこに古い大きな木造の家があったことを、道行く人はだれも知るまい。しかし、目を閉じれば今でも壁の染み、柱のキズまで鮮やかに蘇える。世の無常なるは詮無いこととて、哀しいとは思わない。私の記憶の中でそこは永遠不変の時空間なのだ。
 竹林が見える細長い中庭に向かって祖父の製図机があり、丁度その真下に防空壕が掘られていた。興味本位に二度三度中に入ったことがあるが、昼間でも真っ暗で何にも見えなかった。冬の暖を取るための練炭や炭が置かれていたようだが、とても長居したくなるような場所ではなかった。
 そのとき父は長崎の造船所にいたし、幼い叔父・叔母は疎開していたわけで、祖父と共に残った数人が暗い中で爆音を聞いていたのだろう。東京への空爆はすでに前の年の11月から数え切れないほど繰り返されていたので、その日もいつものように空襲警報が鳴り、人々もいつものように防空壕に隠れて息をつめていた。
 しかし、その夜はかなり様子が違っていた。10日に日が替わる頃、不気味な轟音と共にB29の編隊が近づいてきて、東京の下町を中心に無差別爆撃を行ったのである。いつもより低空からの爆撃は狙いを外さずに次々と建物を破壊し、浅く掘っただけの防空壕ではひとたまりもなかった。乾燥した木造家屋は紙くずのようによく燃えて、辺りはまさに火の海となって多くの人の命を奪ったのだ。
 強い北風が吹いていて、風上に当たる新宿など山の手は戦火を免れたところが多かったという。爆音を遠くに聞いていた祖父は、どんな気持ちでこの夜を過ごしたのだろう。その祖父も亡くなって20年以上経つ。本当にその経験をした人がどんどんいなくなっていく。すべての人にとってその記憶はバーチャルな世界の話でしかなくなっていく。
 これがどんなに凄まじい出来事だったかは、10万を超える死者・行方不明の数が、あの広島・長崎の原爆に比肩することからも察することができる。が、歴史は恣意的に曲げられるもの。無関心な若者が国民の大多数になれば、いずれそんな昔の事は忘れられ、だれ一人振り返らなくなる。それが証拠に、今日の話題は、バブル後の株最安値、政治家の企業献金疑惑、そして野球世界大会。
 今は、平和を口にする人は、反動的左翼扱いされるのだという。戦争のできる軍事力を持たなければ世界の一流国とは言えず、過去の日本に何の過誤もなく、敗戦を語るのは自虐史観に凝り固まった非愛国者なのだそうだ。
 しかし、あの防空壕ですくんでいた人々にとって、イデオロギーなんて何の意味があったろう。それとも爆音が響く暗闇の中で絶望的な日本軍の反撃を祈ったのだろうか。いや違う。父や祖父の言葉に、戦争だけは理屈抜きで嫌だという気持ちを強く感じたものだ。
 世界的な経済不況の真っ只中にいる。かつて似たような情勢の中、主要国は保護主義に突っ走り、利益確保のために戦争を仕掛け、経済復興の代償として多くの血を流した。それと同じことが起こらないとだれが保証できよう。
 そんな思いでしたためてみたが、だれも読むことはあるまい、こんな実感のないつまらん記事。
 それでもこれは伝えていくべき事なのだ。時流を変える力など何もないけれど、心あれば、せめて、両親や祖父母の記憶を語り継ぐべきなのだと思う。

(2009/03/09)
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敵失
 例えば、これで一番得するのはだれか?と読んで推理する人もいれば、与党の怪しげな議員はどうなのかと不思議に思う人もいて、視聴率はうなぎのぼり。黒幕はメディアで、どこかのディレクターがシナリオを書いているかのようだ。でも、勘違いするなよ。面白いから見ているんじゃないんだぞ。
 本当に国全体が沈没しかねないときに、何やってるんだ、この国の政治は?
 テレビのバラエティ番組のような政治しか行われない国で、毎日苦しい生活を送らなければならない国民は、なんて不幸なんだろうと、また同じことを思う一日が過ぎていく。

(2009/03/04)
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厚顔無恥
 日本文化を「恥の文化」だと評したのは、『菊と刀』の著作で有名なアメリカの文化人類学者ルース=ベネディクトであった。第二次大戦という時代背景の中で、評判を気にする日本の「恥の文化」に対し、良心に基づく「罪の文化」として欧米文化の優位性を主張するのが本書の主旨であった。ところが、その意図とは裏腹に、世界が日本の独自性を注目しているものと勘違いして、日本人の多くが「恥の文化」を良しと受け止めているのは、著者も想像しなかったであろう。
 さて、ベネディクトの主張がどうであれ、恥という概念が日本独特のもので、日本人には欧米人より良心が足りないなど、いかにばかげた話かは誰でもわかる。問題は、恥という概念そのものが失われて、良心のかけらすらなくなりつつある今の社会である。それも、日本で最も立派な地位にある方々に、その傾向が顕著であるというのが情けない。
 昼過ぎ、予算成立後に辞任するという財務相の記者会見が行われた。G7での記者会見での失態が全世界に配信されたことを知らない国民はいない。普通の神経なら、穴があったら入りたいくらいの大恥をさらしたにもかかわらず、もうしばらく職務を全うしたいとのたもうた。その後、さすがに周囲の空気を察して辞表を出したのは、辛うじて恥を知る面目だけは立てたか。それでもこの国が世界の笑い者になったという事実は残る。
 昨日、GDP年率12.7%の減少という衝撃的な数字が出た。ところが、その渦中にいた昨年秋、例のリーマンショックの際に経財相はハチが刺した程度のことだと一蹴していたのを国民は忘れない。そのとき本気になっていたら、今の状況はもっと違っていただろう。同じ舌先で、戦後最悪などとよく言えたものだ。そんな人が当面、財務相、金融相を兼任するという。大丈夫なのか?
 そして、国民が選んだわけでもないのに、今日も変わらず、ボクは日本一エライ人なんだと、首相の椅子にふんぞり返っているお方がおる。現在の衆議院の優位を否定する発言をしながら、その優位に乗ってブレブレ発言を繰り返す。ある有名な総理大臣経験者が「笑っちゃうくらい呆れている」などとのたまっていたが、国民は毎日毎日泣きたいくらいだ。
 今、国民が望んでいるのは迅速な経済対策である。しかし、今の状況でいくら政府が政策最優先と叫んでも、なんら有効な手を打っていない。
 それは、審議を遅らせる野党が悪いからだと政府・与党は言う。そうであれば、野党を黙らせるための手立てをつけろ。いやいや、野党が話し合いに応じないから何もできない。それなら、解散して選挙で野党をぶっとばせ。いやいや、今の支持率だと負けてしまうから解散はできない・・・なんてホンネはとても言えないから、今解散して政治空白を作るわけには行かないと見え透いた言い訳をする。今の状態こそ政治空白と変わらないではないかと言えば、野党が審議を遅らせているからこんな状態になるのだと言う。であれば、野党を黙らせろ・・・こんな堂堂巡りを半年、いやもう1年近く続けているわけだ。
 もう一度言う。今、一番国民が望んでいるのは迅速な経済対策である。そのために選挙が必要なのだから、一日も早く解散して選挙をしてくれと言っているだけなのだ。
 もういい加減ウンザリだ。こんなひどい政治を世界中にさらして、本来なら経済対策の最先端を走るべき国が、何もせずに世界で最も惨憺たる状況に向かって突っ走っていると思うと、本当に恥ずかしい話ではないか。と、同じように怒っているみんなに向かってこんな記事を書いても、お互い虚しくなるだけなのが一層悲しいなあ。

 
(2009/02/17)
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絵心
 絵の同好会に入っている叔父が、銀座で展覧会をやっているというので見物に行った。
 うちの家系は絵心のある人が多いのだが、残念ながら芸術の道に進んだ人は一人もいない。世の中にはもっとすごい天才がごまんといるので、とてもじゃないが食っていけないというわけだが、本格的に学んだこともないのに一端の絵を描くのは只者でないと勝手に思ったりもする。叔父もそういう隠れた才能の持ち主で、自己流で水彩を描いている。
 さて、絵を見る人はそれぞれの審美眼で鑑賞すれば良い。ヘタクソと思っても良いし、この程度ならオレでも描けるとバカにしても良い。人それぞれ思いは自由である。
 ある日、全く絵がわからない人に絵の楽しみ方を教えるというテレビ番組を見た。結論を先に言えば、「家に飾るとしたらどれを買うか」という気持ちで見れば興味がわくというのである。出演者はみんな感心していたが、これを絵の鑑賞の仕方と言うのはあまりに経済的価値観に過ぎていて、私にはちょっとついていけない。そんな見方しかできないなら、絵なんて見ない方が良い。
 絵は見るものと思っている人がほとんどだと思うが、私に言わせれば、絵を見ようとしてはいけない。絵は感じるものであり、描くものである。
 展覧会に行くと、やたらに絵に近づいて舐めるようにして見る人がいる。絵を学んでいる人や、絵そのものではなくて周辺のウンチクに興味がある人なら、筆づかいを調べたりすることもあるだろう。しかし、そんな風にして見る絵の何が面白いだろうか。
 良い絵は遠くから見て出合うことが多い。まるで、遠くの景色を愉しみながら山を歩いているのと同じ感覚である。私がそんな絵を見つけると、しばしその前にたたずんで、絵の中に入って行こうとする。つまり、額縁で遮られた空間の広がりを想像し、その世界に立っている自分を思い描くのがとても愉しいのである。だから、必要以上に近づく必要がないし、絵と私の間に他の人が入り込んでも構わない。良いと感じられれば、有名な名画であろうと、子供の稚拙な絵であろうと、一切関係なく愉しめるのである。
 写実的な風景や静物、人物画などは、比較的簡単に絵の中に入っていけるが、抽象画はどうだろう。絵がわからないという人の大半が、抽象画の難しさを口にする。しかし、これも絵を見ようとするから、わからなくなってしまうのである。「見る」は客観的な行為なので、感じる前に考えてしまう。考えてしまうと、もう絵は鑑賞できない。
 例えば、「怒り」を絵に描けと言われたら、あなたはどんな絵を描くだろうか。頑固親父が怒った顔でもいいし、怒りに任せて絵の具を目茶苦茶に塗ったくってもいい。そういった目に見えないものを絵にしたらどんな感じになるか、が思い描ければ、抽象画の中に入り込んでいる自分も描くこともできる。絵は鑑賞する側が描くものでもあるのだ。
 感じる、描く・・・私の勝手な絵の見方と言って構わないけれども、実は、誰でも同じようなことを映画やマンガを見ながらやっている。いやいや、音楽を聞いたり、詩や小説を読んでいるときも似たようなことをしている。絵画鑑賞を難しく考える必要は何もないのだ。
 叔父の絵は遠くからのんびり眺めていると、とても良い感じだ。身内のひいき目と言われたら返す言葉もないが、例えばカレンダーぐらいしかないリビングの壁に、こんな絵がそれとなく掛かっていたら、豊かな気持ちで毎日を過ごせると思わないだろうか。絵ってそういうもんだ。

 
(2009/02/14)
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説明
 実を言うと、「面白狩り」というのは、学生時代にエッセーを書く仲間と一緒に作っていた同人誌の名前である。
 仲間とは言うものの、ムリヤリ何か書いてくれと頼んで、私一人が勝手に形にしていたようなもので、彼らもホンネを言えば迷惑だったに違いない。ガリ版刷りの同人誌もどきを読まされる方もまた呆れていたことだろう。そんな周囲の感覚など全く意に介さずに面白がっていたものだ。
 その当時、人気があったタレント集団に新早稲田派と呼ばれる人達がいた。私自身が生まれ育ったところが早稲田大学のそばだったので、その名を冠して活躍する人達は正にヒーローだった。私の思想や感性はこの新早稲田派の影響を強く受けていると言い切ってもよい。
 誰が一番好きというわけではないが、深夜放送でよく聞いていたせいか、永六輔さんには特に親近感を感じていた。よせばいいのに、「面白狩り」を送ったりして、その暴走振りは今思うと赤面の極みである。ところが、その後、永さんから直筆の絵葉書が送られてきて、どこそこのページを読ませてもらったと書かれてあるものだから、まあ、有頂天になって受験勉強なんてそっちのけ。おかげで見事に受験に失敗し、くらーい浪人時代に突入していくことになるのである。
 と、前置きがかなり長くなってしまった。その永六輔さんが「誰かと何処かで」というラジオ番組をやっているのをご存知だろうか。後期高齢者となった今でも相変わらずかくしゃくとしたおしゃべりは、あの頃以上に心に残る。人生の話、文化の話、戦争の話、社会の話、興味深い話にいつも共感を覚えるばかりだ。すごい人だなと思う。
 今日の放送の中で、とても重要なことを話しておられた。それは「わからない人にわかるように説明することが一番重要で大変なのだ」ということ。永さんはいつもの調子でさらっと語っていたが、これは私のライフワークと思っている重要なテーマである。もちろん、それを全うできるだけの実力もあるなんて自惚れてなどいないが、最初から諦めていたら何もできない。
 ものごと、ちゃんとわかっているなら言うことはない。あとは責任をもって行動して、良い結果に結び付けるだけだ。ところが、世の中、いくら説明を聞いてもわからないことはいくらでもある。諦めずに理解しようと努力しても、この国は、遅かれ早かれ落ちこぼれとして処理されてしまう冷たい社会である。
 例えば、それが相対性理論だとか量子理論といった類のことなら、わからなくても良い。ごく基本的な知識、法律や契約事項、仕事上の知恵、機械の取扱いなど、ほんのちょっと肩の力を抜くだけで理解できるはずのことが、わからないまま損をしていることがとても多いのだ。
 困ったことに、それらを教える側が、相手の理解よりも自尊心を満足させることに重点を置いているものだから、ますます知る者と知らざる者との間に溝ができてしまう。面白い川柳がある。 簡単を難しくする専門家 もし、そのわずかな理解の壁を一人残らず越えることができたら、我々はもっと高いパフォーマンスの生活ができるのではないだろうか。人が成長する時、ひと皮剥けると言う。今わからなくて低いレベルに止まっていても、一つ壁を乗り越えることで大きな飛躍をすることは誰にでもあることだ。
 私の得意は大学で学び、実務で経験を積んだ生産システムや品質管理である。それ以外は、たまたま知っているものもあれば全くわからないこともある。わからないことは謙虚に教えを乞うのみ。しかし、専門で人を煙に巻こうとは思わない。専門同士で言い争いをしようとも思わない。知識を求めている人にどうしたらわかりやすく理解してもらうか、ということが興味の中心である。そして、ホームページに掲載している記事はその努力の形なのである。
 このブログにおいても、日常の気付きを語るだけのこととはいえ、基本的には同じスタンスで記事を書いている。知っている人、わかっている人に向かって書いているのではない。わからない人にわかりやすく語ること。
 「難しいことをやさしく、やさしいことを深く、深いことを面白く」
 井上ひさしさんのこの言葉が大好きなのは、そういうことなのである。

 
(2009/02/11)
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リストラ:リストラクチュアリング(restructuring)の略語
090205リストラ  このところ、新聞を開けば「リストラ」という言葉を目にしない日がない。この言葉が使われるようになったのは、バブル経済が崩壊し始めた90年代初めだと思うが、その当時からこの言葉を聞くと非常に不愉快になる。最初に使ったのは経済学者?官僚?それともマスコミ?いずれにしても、リストラを人員削減と同義に使うのはどうも我慢ができない。
 人員削減は「首切り」と言った。もちろん、良い雰囲気の言葉ではない。当たり前だ。だれが人員削減を喜ぶものか。それを「リストラ」なんてハイカラな言葉に変える、小ざかしい物言いが癇に障るのだ。首切りは首切りだ。それをリストラなんてバタ臭い言い方でごまかすなってんだ、べらぼーめ。
 元々リストラというのは、リストラチュアリングを縮めた言葉だ。和訳すれば「再構築」、改造という意味だ。人員削減のことではない。人員削減を英語で言えば、ペイロールカットあるいはパーソネルリトレンチメントという。どうしても横文字でカッコ付けたいならペロカツとかパソリトとでも言いやがれ。
 企業をバランスシートだけで見りゃ、ばっさり人件費が削られて経理上の改造と言えるだろうさ。しかーし、企業てぇもんは金だけで語ることなんざできねぇできねぇ。昔から人・物・金って言うんだ。ところが、近頃の経営者はなにかってぇと金・金・金だ。
 そもそも大企業は本気でリストラ、企業改造する気があるんだろうか。時代の変革期に過去の延長でものごとを考えていたら、立ち直れないのは当然だって気付かないのかねぇ。今までの売れ筋で儲からないなら、違うことを考えろ。全く新しい観点で、企業の将来を見据えろってんだ。
 人というのは貴重な資源。削減すべきは人でなく、新しいビジネスモデルにおいてムダとなる部分だ。それは、従来の産業では必要だったかもしれないが、将来において必要であるとは限らぬ。だから、今こそ将来展望の下に改革・改善を進めなければならないのだ。それが本当の「リストラ」というもんだ。
 と、大声で叫んでも、将来ビジョン一つ聞かせてくれない経営者の耳には届くまい。この大事な時にばっさばっさ人の首を切るなんて・・・。
(2009/02/05)
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ぞろ目の日
 どうでもいいと言われてしまえば、確かにどうでもいい話なのだけれども。
 1月1日が元日、3月3日が桃の節句なんていう具合に、同じ数字が並んだ日は暦の上での特別な日みたいな感じがする。そこで、今日2月2日も何か意味があるのかと思ったら、特別なことは何もない。
 いやいや、今日は節分じゃなかったかと思ったら明日だという。それでは暦の上の春、立春かと思えば、それも外れ。ぞろ目の日は年に12日しかないのに、これではちっとも面白くないので、他のぞろ目の日も調べてみた。

 1月1日・・・元日。
 2月2日・・・語呂合せで頭痛の日。キリスト教ではキャンドルマス(聖母マリアの受胎告知の日)。 3月3日・・・上巳(じょうし)の節句(桃の節句)。語呂合せで耳の日とも。
 4月4日・・・語呂合せでヨーヨーの日、獅子の日など。女と男の節句の間でおかまの日という俗説あり。
 5月5日・・・端午(たんご)の節句(菖蒲の節句)。こどもの日。児童憲章制定記念日。
 6月6日・・・お稽古の日。生け花の日。
 7月7日・・・七夕(しちせき)の節句(笹の節句)。
 8月8日・・・特になし。
 9月9日・・・重陽(ちょうよう)の節句(菊の節句)。語呂合せで救急の日。意味不明だが男色の日とも。
 10月10日・・・目の愛護デー。国際保健デー。99年までは体育の日だった。
 11月11日・・・世界平和記念日。見た目でもやしの日、煙突の日など。
 12月12日・・・特になし。

 この他に、外国の祝日や特定の団体・個人が提唱している記念日がいろいろある。団体や会社のものは広告宣伝、商売っ気がプンプンしていて、それらを並べたらきりがない。
 こうして見ると、暦の上での特別の日と言えば奇数月の節句くらいのもので、あとはどうでもいい感じだ。やっぱり、どうでもいい話か。どうでもいいなら、適当に語呂を合わせて遊んでみても構うまい。
 2月2日。夫婦の日。妊婦の日。爺の日。にんじんの日。煮豚の日。筒の日。ニコニコする日。忍者ハットリ君の日(ニンニン)・・・頭痛の日よりよっぽど良いと思うけどな。

(2009/02/02)
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ブレてない・ズレている
 次の選挙で負けることは、指摘されなくてもわかっている。どうせ負けるんだから、今のうちに貰えるものは貰っておくように。歳費、献金、政党助成金、エトセトラ。失職してしまうと手に入らなくなるから、選挙はギリギリ一杯まで先送り。なんたって、優秀な官僚が味方に付いているんだ。政策なんて、天下りと渡りを認めて奴らに任しておけば、適当にごまかしてくれるさ。
 支持率が下がれば下がるほど、今すぐ選挙をやろうなんて言うバカな奴がいるわけがない。なんやかんや騒いでも、今、造反するだけの度胸のある奴が与党にいると思うか?もう党内はそういう方針で一致しているんだ。野党もわかっちゃいねぇな。
 その後、この党が分裂しようがぶっ壊れようが知ったこっちゃないんだ。国民なんて少し時間が経てば昔のことなんかコロッと忘れるからな。どうせ次の政権は消費税を上げざるを得なくなってつぶれる。つまり、次の次の選挙ではほとぼりも冷めて、新党立ち上げてみんなで政界復帰だ。ちょろいもんさ。
 なに?国民は苦しみにあえいでいる?ンなこと知るか。給付金の評判が悪かろうが、実際に手にすりゃ泣いて喜ぶ哀れな貧乏人どもが。その後野垂れ死にしようとどうなろうとオレの知ったことか。 だぁから言ってるだろ。最初からぜぇんぜんブレてないよ、オレぁ。

 うーん。今朝はやけに夢見が悪くて頭が痛い。インフルエンザか???

(2009/01/29)
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新大統領就任
 オバーマ氏がアメリカの新しい大統領に就任した。18分余の就任演説の中で語られているのは、人の力の素晴らしさ。違いを乗り越えて人々が協力することが危機を克服する原動力であるということだった。
 経済の専門家は過度の期待は禁物だと警鐘を鳴らし、敵対する国々は相変わらず冷ややかである。確かに、すぐに劇的な変化を求めるのは酷な話だろう。
 しかし、貴重な金をばらまき、金持ちと官僚を擁護し、国民には増税を企て、口を開けば100年に1度の危機と不況を煽り、自身は最高権力者を満喫する以外なーんにもやってくれない、どこかの国のエライ人よりは、ずっとずーっと期待が持てるよなぁ。

(2009/01/21)
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3段ロケット
 支持率低下を批判とせずに叱咤激励と言い換える政治家の感性。彼らが本気で国民のことを考えていないのは子供でもわかる。まことに教育上よろしくない。
 街中で石を投げれば8割の不支持に当たる今の内閣


(2009/01/17)
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泥舟
 政治がめちゃくちゃの時は、政治家が実際に言っている言葉をそのまま並べるだけで滑稽になってしまうのが、とても悲しい・・・。

(2009/01/14)
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七日粥
 夜爪を切ると親の死に目に会えないなどと言われる。そのような禁忌があるのはなぜだろう。昔からの言い伝えをただの迷信と笑ってはいけない。そこには意外に合理的な警告が隠されていることが多い。これは、灯りの少ない暗い中で爪切りなどしては大怪我をするので、注意を促しているのだ・・・なーんて、したり顔で言えば、ケロッと信じてしまう人もいる。
 今日は七日粥。母が小さい頃は「唐土の鳥が日本の国に渡るか渡らぬ先に七草なずなでストトントン」と囃しながら、七草を包丁で刻んで粥をこしらえたという。この囃しは地方によって違うようで、母は浜松の出なのでこれは遠州バージョン。
 この唐土の鳥というのは、恐ろしい毒を持った鬼車鳥(うぶめ)という鳥のことで、これが人の爪を拾って食うという言い伝えから、上のような禁忌が言われるようになった。今風に考えれば、大陸から渡って来て、鳥インフルエンザのような疫病をもたらす害鳥の意味があるのかもしれない。俗説を紐解けばきりがないが、元々は作物を食い荒らす鳥を追って、豊年を願う行事が七日粥になったという説が最も確かなようだ。
 今はスーパーなどで、パックになった七草が売られているが、私のガキの頃はスズナ(蕪)とスズシロ(大根)はともかく、都心で手に入るのはセリ・ハコベぐらいのもので、後は小松菜やゴボウで代用した記憶がある。
 七草がちゃんと入った粥。ペンペングサ(ナズナ)、ハハコグサ(ゴギョウ)、コオニタビラコ(ホトケノザ)なんて見た目にもホコリっぽくて、実際、イメージ通りの味がする。ハンバーガーとかピザが好きな今どきの子供には、とても食えたシロモノではなかろう。ところが、年を取るとこの素朴な味がなんとも美味く感じられるから不思議だ。お新香や佃煮で少し塩味をつければ、いくらでも食べられる。柚子なんか添えたら、もう間違いなく高級料理!
 昔は年末年始の野菜不足を補う意味もあったのだろう。しかし、むしろ栄養不足より過食の心配をする現代こそ、こういう低カロリーで胃腸に優しい料理が貴重だ。わが国固有の食文化として大切にして欲しいものだ。

(2009/01/07)
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カレーライスとコーヒー
 今は金さえ出せば高級料亭や有名ブランドのおせち料理が食卓に並ぶ。みんなが集まる正月ぐらいはと、うちも某有名百貨店の重箱を注文したが、中身の豪華さの割にはみんなあまり箸が進まない。それより、人気があったのは自前の煮しめや田作り、膾といった昔ながらの正月料理。世の中不況だからというわけでもあるまいが、舌が肥えている子供たちも手作りの黒豆や金団の方が美味いと手を伸ばしていた。
 ガキの頃の正月料理なんてもんは、それに金平とか酢蛸くらいがあれば十分。刺身のひとつでもあれば超の付く豪華さだったような気がする。腹が減れば雑煮や磯辺巻きが美味かったし、甘味が欲しければ蜜柑をむいて食べれば満足だった。しかし、今や職を失い、この寒空に住むところもない人が大勢いることを思えば、これだけでも贅沢の内というものだ。
 煮しめを肴にウヰスキーをロックでチョロリというのが好きで、元日は少々飲みすぎてしまった。二日はみんなが集まってのお正月。そして今日は駅伝を見ながら、残り物の後片付けということになる。その残り物の中にカレーライスがある。正月料理に飽きるとこいつが何よりだ。
 で、私の場合、カレーライスにはいつもコーヒーが付き物なのである。この取り合わせにみんな不思議そうな顔をするのだが、慣れてしまった味覚にはこれが滅法美味い。
 映画やアニメの食事の場面を見て、美味しそうに感じたことはないだろうか。例えば、アルプスの少女ハイジというアニメ。アルムおんじがチーズを暖炉で暖める。トローリとろけたチーズをパンに乗せて、ぺろりと食べるハイジを見たら、あれ美味そうだなと誰でも思うに違いない。
 カレーライスとコーヒーも、ある漫画のひとコマがきっかけなのだ。その漫画とは手塚治虫さんのブラックジャック。手元にないので何話目かは不明である。レストランの主人が高級な料理をさかんに勧めるのに、ブラックジャックが頑としてカレーライスとコーヒーを注文する場面。なぜかその科白が記憶の中に強く焼きついていて、加えて、当時よく行った自家焙煎コーヒーの店のカレーがまた抜群で、以来私の中では、カレーライスといえばコーヒーというのが定番になってしまったというわけである。
 飲み込んだ後わずかに残るカレーの味を、コーヒーを飲むことで洗い流す。と同時に、カフェインの独特のコクが気分を変え、次のひと口がまた新鮮な味わいとなって口の中に広がるという、そんな繰り返しがとても愉しい。と言っても、未だかつて共感してくれる人に出会ったことがないので、これは私一人の秘かな嗜好なのである。不思議な顔をされても仕方がないので放っといて欲しい。
 でも、そういう自分だけのお気に入りの食べ合わせって、だれでもあるんじゃないかな。実はまだあるんだけど、今日はここまで。
 うーむ。カレーは大分片付いた。良かった良かった。

(2009/01/03)
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