コンセプトは ”どうしたら面白くなるか?” 庭先の博物誌 画・文:平澤 功
おもしろがりホーム
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枯葦 090226 かれあし
090225 かも
090224
090223 せっかく
090219 きんろばい
090216 ふゆのくさ
090213 あせび
090212 ひきがえる
090211 おらんだからし
090210 ふくじゅそう
090209 あまとう
090208
かわせみ
090204 こうかい
 西高東低と言えば冬の気圧配置のこと。西のシベリア高気圧から吹く冷たい北風が海上で水分を含み、日本海側の地方に大雪をもたらす。北風はさらに山岳地方を越えて乾燥し、これが太平洋側のカラカラ天気となる。
 ところが、春先このシベリア高気圧が北に後退し、北高型と呼ばれる気圧配置になると、日本付近が東シナ海からの低気圧の通り道となって、太平洋側でもときどき雨が降るようになる。この低気圧と交互に現れる高気圧を移動性高気圧と呼び、春の暖かさを運んでくるのである。
 昔はこの気圧の強さを表す単位をミリバールと呼んだ。1960年に国際度量衡総会で採択されたSI単位でヘクトパスカルとなり、日本では92年から使われるようになった。ヘクトは100倍の意味で、基本の単位はパスカルである。このパスカルは17世紀ブルボン王朝全盛期のフランスの人の名前。
 天才と言ったら、どんな人を思い浮かべるだろう。アインシュタイン、ニュートン、ダ=ヴィンチ、モーツァルト・・・古今東西、天才と呼ばれる人は数々あれど、パスカルもまた大天才の一人と言って良い。といっても、中学・高校の理数の授業でもなければ、ほとんどお目にかかることはない人ではあるけれど。
 パスカルの原理、パスカルの定理、パスカルの三角形などなど、数学や物理の業績が有名だが、哲学者、思想家としての著作も多く、幅広い活動は特定のカテゴリーに限定することが難しい。裏返せば、特定の知識に偏らない自由な発想の人だったということだ。そこが、妙に親近感を抱かせる。
 「人間は考える葦である」は、パスカルの瞑想録(パンセ)にある有名な言葉。人間は葦のようにちっぽけな生き物だが、考えることによって宇宙を超越することもできるという無限の可能性を示した言葉。
 思うに、学校を卒業して社会に出てからというもの、われわれはあまり考えるということをしなくなった。いや、違う。考えることは考えるが、要らんことばかりで、本当に大切なことを論理的かつ自由に考えることができなくなったと言う方が正しいか。本来、脳細胞は考えることを喜ぶとも言う。考えるのが面倒に感じるのは、それこそ著しい老化の現われかもしれぬ。
 移動性高気圧の下、早春の明るい日にキラキラ輝く枯葦を眺めながら、パスカルの言葉について思いをめぐらせた。

 枯葦に触れて思考の弾み食う

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(2009/02/26)
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 鴨と言っても、調べてみると、案外その種類に多いことに驚く。最もポピュラーなのが皇居のお堀にもいるカルガモなので、鴨を見ればみんなカルガモになってしまう。しかし、カルガモはカルガモとしかつがいにならないし、そのほかの種類も決して他の種類と一緒になることはない。外見は似たようなものでも種としてはかなり遠いのかもしれない。
 池の淵を歩いていたら、つがいの2羽が餌をあさりながら近寄ってきた。人間とは異なり、鮮やかな方がオス。地味で目立たないメスを見て種類を特定するのは難しい。他の鴨と比べてオスの尾が長く立っているので、これはオナガガモという種類だ。首の白い部分が側頭部に向かって伸びているのも特徴とある。
 こうやって微妙な部位を観察すると、その他の鴨もそれぞれ特徴がある。白い首輪にグリーンの頭のマガモや、黒い嘴の先が黄色いカルガモなど、いろいろな種類の鴨がこの池にやってきていることがわかる。みんな小鳥のように素早く動くわけでもないので簡単にカメラに収められる。カメラマンたちが見向きもしないのは、やっぱり撮影時のスリルがないからだろう。
 愛らしい姿は、のんびり眺めているだけで心が癒される。昔から身近な鳥だったようで、鴨についての決まり文句は今でもよく使われる。

 鴨が葱を背負ってくる・・・鴨鍋にすることから、おあつらえ向きのこと
 鴨の浮き寝・・・水に浮きながら寝ることから、おちおちしていられないこと
 鴨の脛(はぎ)・・・短いもののたとえ
 鴨の水かき・・・水かきがいつも動いていることから、人知れぬ苦労の絶えないことのたとえ

 そう、池の周りは、散歩やジョギングをしたり、自然撮影を楽しんでいる人ばかり。こんな光景を見ていると世の中全く平和そうだが、この不況の折、みんなまさに鴨の浮き寝の如し。毎日毎日、鴨の水かきのように暮らしている。そんな鴨には目もくれないカメラマンと同じなのが、今の政治というわけさ。

(2009/02/25)
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 なんだろう?多くの人が三脚の上に大きな望遠付きのカメラを据えて、池の淵に陣取っている。
 レンズの先には大きな黒い鳥が五羽。テレビでしか見たことがないが、あれは間違いなく鵜だ。細長い首を持ち上げてくれればそれとわかるのだが、杭の上で羽の中に顔を埋めて丸くなっている。彼らはそのシャッターチャンスを待っているようだ。
 あのアマチュアナチュラリストたち・・・いや失礼、彼らの立派な器材を見れば、きっと本格的なプロのつもりに違いない。その中に割り込んで安物デジカメを構えたら、大ひんしゅくを買うのは火を見るより明らかというもの。かなり離れた横の位置から目一杯ズームをかけて撮影することにした。まあ、この辺りじゃ滅多にお目にかかることはないので、記念の一枚といったところだ。
 瀬戸内海の島では、異常繁殖して多量の糞のために森が枯れる害にもなっていると聞く。それほど珍しい鳥というわけでもないのに、むしろ、あのカメラマンの群れの方が異常に感じてしまう。いや、これも余計な一言だった。
 それにしても、この瓢軽な姿を見ていたら、昔テレビで見た「ヘッケルとジャッケル」というマンガを思い出してしまった。時代としては「トムとジェリー」や「ウッドペッカー」より一昔前くらいの作品なので、知っている人はほとんどいないだろう。
 あのヘッケル・ジャッケルは多分カラスに違いない。「鵜の真似するカラス」などという諺があるように、同じ黒い鳥でもカラスと鵜とでは人の見方もかなり違う。それでもカラスは知恵者、鵜は職人としてわが国では愛されてきた鳥である。

 チャッチャ、チャチャチャチャチャッ、チャチャチャチャチャッ、ぉぉぁぁあ、うっ!

 ってマンボ・ナンバーファイブだっけ?鵜のことを調べていたら、そのメロディが頭の中をぐるぐる回る。いかん。なんだか思考回路が目茶苦茶になってきた。鵜の話はおしまいにして、次行こう。

(2009/02/24)
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雪客
 カワセミなら、うちの近くの公園にもいると妹が言うので、昼食後の腹ごなしに散歩がてら見にいくことにした。
 最近の健康ブームで、休日の公園はウォーキングやジョギングで体を動かしている人が多い。さて、カワセミを見たという池はタナゴ釣りを楽しむ人がズラッと岸辺を占めている。こんな様子ではとても会えそうにないので、さっさとあきらめて池を後にした。
 しばらく行くと、子供たちが葦の原を指さしてなにやらひそひそ話している。そのそばで、アウトドアスタイルに目一杯身を固めた女性が、一眼レフを構えていた。プロ顔負けのかなり本格的な望遠付きで、あれじゃ、三脚がないとぶれてしまうぞと思いながら、カメラの先を見るとシラサギが一羽。なるほど、こいつをねらっているのか。
 全身が白いサギは、ダイサギやカラシラサギ、コサギなど数種類に分かれるらしいが、それらをひっくるめてシラサギと呼ぶ。あまり厳密に考える必要はない。このシラサギは大きさからいってコサギだろうか。そばを通る人間を警戒する様子が全くなく、悠然とエサを探している。安物デジカメで撮ろうと、5メートルくらいの距離まで私が近づいても、逃げる素振りを見せない。
 自然のエサが少ないので、野鳥が人里近くに下りてくるのは珍しくもないが、それにしてもこれだけ近寄って逃げないというのは、かつては考えられなかったことだ。野鳥が人を恐れないのは、例えば餌付けをして警戒を解いているのかもしれないし、それだけ野鳥に不必要なストレスを与えていないせいだろう。
 こうやって、自然が人と共存するのは、もちろん悪いことではない。けれども、そうっと気付かれないように近づいて、息を殺し手に汗をにぎりながら、微かに震える指でシャッターを切ったあのスリルがなくなってしまうのは、なんとなく寂しい気もする。そういうハラハラドキドキを味わうことが、とても贅沢な感覚に思えてしまうのはなぜだろう。

(2009/02/23)
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金縷梅
 群馬でマンサクが咲いたというニュースを聞いたのは先月だった。そう言えば、散歩の足を少し伸ばせば坂の途中にマンサクの木があったなと、見に行ったのだけれども、まだまだポツポツという程度で、カメラにも収めず放っておいた。
 昨日は雨水。暦によれば「陽気地上に発し、雪氷とけて雨水となれば也」とか。春一も吹いたことだし、再びマンサクを求めて来れば、おお、見事に咲いておる。 遠目で眺める分には、細かな黄色っぽい玉が枝に散らばっているだけなので、それほど目立つ花ではないが、近寄ってみるとモジャモジャと金糸卵のような花弁が面白い。花弁の基部が赤みがかって派手さがなく、その分上品な雰囲気を醸し出している。豊年満作を思わせるめでたい名前も、そんな印象から来たものか。
 もともと山野に自生する木で、山では一番早く開花することから、一説には春に「先ず咲く」が訛ったとある。しかし、里ではすでに白梅紅梅が満開となって、いたるところに香りを漂わせていることを思うと、実感としては少々ムリな感じがする。梅や桜の華やかさとは比較にならないが、渋い色合いとちょっぴり剽軽な花の姿が春の野のアクセントになって、ベテラン演技派の名脇役という風なのが良い。
 と、そこに坂の上から女学生二人、何やらお喋りに夢中になって降りてくる。私とマンサクのそばを通り過ぎてしばらくしたら、明るい笑い声がした。うん、マンサクには笑い声が似合うなあと、ふと思った。

(2009/02/19)
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冬の草
 各地からフキノトウの便りを聞くので、かなり意識して歩いているのに、朝の散歩道では全然目にすることがない。公園や畑地はよく草刈りがされているし、マンション建設前の造成地はイネ科の枯れ草やキク科のロゼットばかり。家々の庭先にもそれらしき姿は見当たらない。全く、この辺りの貧困な自然と来たら・・・。
 どうしても見つけてやるという覚悟で、普段なら通ることのない、高速道路沿いの隘路に足を入れてみた。ところどころ枯れ枝が束になって道を塞いでいて、ほとんどヤブ漕ぎ状態で進まなくてはならない。夏場だったら、とんでもないジャングルになっているだろうと苦笑いしながら先へ進んでいったら、結局いつも通る小径に出てしまった。
 もう少し暖かくなれば、線路沿いの土手に顔を出すだろうと、諦めて帰ろうと思ったその時。あったー!日当たりの良い斜面に小さなつぼみが二つ三つ。今年の初物である。この場所はフキの円い葉が散らばっているので、どんどん出て来るに違いない。これからが楽しみ。
 フキはキク科の多年草。多年草とは、1年2年で枯れることなく、また冬に地上部が枯れても春に芽を出す草のこと。秋に黄色い花を咲かせるツワブキも同じキク科の多年草だが、属が異なる。どちらもフキという名前で葉柄が食べられるので、同じものと勘違いしやすい。フキの場合はこのフキノトウが花に当たる。そのまま焼いたり天ぷらにしたり、すり潰して味噌と混ぜたりして食べる。子供の頃は苦いだけでちっとも美味しいと思わなかったけれど、今はその苦味と香りが愉しみで思い切り春を満喫できる。
 草冠に路と書くほかに、草冠に冬と書いてもフキと読ませるので、冬に生える草という意味があるようだ。この辺ではとても考えられないが、雪国で春先の消えかかった雪の間に明るい緑のフキノトウを見れば、冬の草というのもわかるような気がする。

 春のひかり浴びて気付くや蕗の薹

(2009/02/16)
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馬酔木
 アセビ、またはアシビ。馬が酔っ払う木って書くので、本当にそうなのかと文献を調べてみると、なるほど、葉を煎じて殺虫剤を作るほどの有毒成分を含んでいるという。酔っ払うどころか医者の世話にならなくてはならないので注意が必要だ。
 公園から帰る途中の畑で、たわわな房状の花が風に揺られて見事だった。チャリンコを降りてカメラを構えていると、この畑の持ち主だろう、そばの民家からおばあさんが出てきて「こんにちは」と声を掛けてくる。挨拶を返すと、ニコニコしながら「キレイでしょう」としばらく花自慢を聞かせてくれた。
 馬酔木、馬酔木。馬酔木と言えば、そんな文学作品か何かあったような気がする。ふと思い当たることがあって、手元の歳時記を開いたら「やっぱり」。馬酔木というのは俳人のグループの名前だ。
 ときどき面白半分に一句ひねったりするが、私自身はずぶの素人である。歳時記を手元に置いているのは、ふつうの辞書には載っていない古い言葉や独特の言い回しが参考になるからだ。その歳時記をひっくり返しているうちに、なんとなく馬酔木とかホトトギスなんていう名前が記憶に残っていたのだと思う。
 私のお気に入りは高浜虚子の単刀直入な句。馬酔木は虚子のホトトギスより新しいグループで、主宰した水原秋桜子という人は、俳句の中に万葉技法を取り込んで一つの時代を築いたとされている。難しいことはよくわからないけれども、鮮やかさ艶やかさの感じられる美しい句が印象的に思う。
 秋桜子の句集「葛飾」より馬酔木の二句。

 来しかたや馬酔木咲く野の日のひかり
 馬酔木咲く金堂の扉(と)にわが触れぬ

(2009/02/13)
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蟾蜍
 うわっ!なんだこれ・・・
 人工水路の底をロープ状の奇妙なものがのたくったように沈んでいる。よく見れば、あちこちにこの不思議なロープ。気味が悪いな・・・と思いつつ眺めていたら、丁度いい塩梅に、公園の教育員らしきお兄さんが子供に何か説明していた。
 そうか、これヒキガエルの卵なんだ。というわけで、以下はお兄さんの説明の受け売り。
 ヒキガエルは今は冬眠中で泥の下。そのヒキガエルがいったん目を覚まして産卵した後、再び泥中にもぐりこんで冬眠を続ける。卵はカンテン質の衣に守られて静かに春の訪れを待ち、やがてオタマジャクシが顔を出すというわけだ。
 それにしても、図鑑などには、もっと透き通ったトコロテンの中に卵がポチポチ黒く見える写真が載っているが、この実物は表面に泥が付着して、いかにもロープみたいに見える。この水路には大きな鯉も泳いでいたから餌になることもあるのかと思うけれども、見た目はやはり普通のロープと言った方が当たっているので、鯉もまさかこれがカエルの卵だとは気付くまい。
 こんなにたくさんの卵から孵るオタマジャクシが全部大きくなったら、さぞや賑やかなことだろう。しかし、ガキの頃の夏休みに田舎に行った時の記憶。今みたいに道路も舗装されておらず、夜になったら真っ暗闇の田んぼからガギガギグギグギと、いつまでも聞こえてくるカエルの鳴き声がやかましいどころか、あまりに単調なために子守唄のようにぐっすり眠れたものである。
 最近はカエルツボカビ症なんていう厄介な病気が流行っていて、絶滅の危険もあるという。たかがカエルぐらいと甘く考えてはいけない。身近な種が一つ消えることでわれわれの生活に与える影響は計り知れないと専門家は警告している。
 懐かしさや郷愁といった呑気な理由ではなく、本当に真面目な気持ちで自然保護を考えておかないと、いつか必ずしっぺ返しが来るということを肝に銘じておこう。

(2009/02/12)
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和蘭芥子
 ステーキはお好き?ローストビーフは? 年がら年中食べたいとは思わないが、ジュワっと口の中に広がる肉汁で何ともいえない満足感に浸ることができる。最近の書物によると、トリプトファンというアミノ酸が脳に取り込まれることによって、生理的に幸福感を感じさせるのだとか。メタボを気にして肉食を避けていると、この物質が不足してかえってうつ病になりやすくなるとも言われる。この手の話はくるくる変わるので、どこまで信用して良いのかわからないが、たまにはワイルドに血のしたたる肉の塊に食らい付くのも悪くはなかろう。
 そんな肉料理の付け合わせでよく添えられるのがオランダカラシ。いわゆるクレソンのことだ。実は、比較的水のきれいなところに自生しているのをよく見ることができる。一番すごいなと思ったのは柿田川(静岡県三島市)の一面のクレソン畑だったが、魚沼(新潟県)で、ごくありふれた用水路の岸辺にびっしり生えているのを見つけて、意外に身近な野菜なんだと感じたものである。
 湿地帯の木道をきょろきょろしながら歩いていたら、間違いない、オランダカラシの群生を見つけた。といっても、こんなただの青い草、興味を示す人なんか一人もいない。だからと言って、今晩のオカズにと採るわけにはいかないのが残念。ここは公共の公園である。
 カラシというので実際に辛いのかというと、辛味はほとんど感じられない。クセがあるから嫌いだという人も多いが、私などはサラダに混ぜたりして食べるのが好きだ。血の流れが良くなるとも聞く。通年で流通するが、旬はこれからの時季だろう。アブラナ科で十字形の白い小さな花をつける。

(2009/02/11)
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福寿草
 公園のメイン路を少し外して、比較的人の少ない湿地帯の木道を歩いていくと、見事なロウバイの株が目に入ってきた。黄色い花が正に満開で、これでもかと言わんばかりに辺り一面が良い香りにあふれている。
 ところが、庭木としてかなり一般的になってしまったせいか、立ち止まる人はあまり多くない。あるいは、ピークシーズンも終わりに近いせいかもしれない。現代人は新しい物好きだから、三分咲き、五分咲きでも今は白梅・紅梅の方がギャラリーを集めている。
 そんなロウバイの根元を狙って一眼レフを構えている人がいる。よく見ると、その先に小さな福寿草が黄色い花を咲かせていた。元日草、朔日草(ついたちそう)、歳旦華(さいたんげ)などとも言われ、新年の飾り物として珍重される草だが、大抵は温室で促成栽培されたもの。野生のものはちょうど今時分から咲き始めるので、これは初物と言っても良い。
 カメラマンが立ち去るのを待って、私もいつものバカチョンを向けてみるのだが、ズームを最大にしても全然届かない。仕方なく、木道からロウバイの裏側に回りこみ、根元のすぐそばに体を伸ばして、やっとの思いでカメラに収めることができた。と、そういう不自然な行動が人目を引いたのか、ぞろぞろと人が集まってきて口々に「福寿草だ」とようやく脚光を浴び始めたわけである。
 縁起の良い名前と、可愛らしい姿で人気の高い花だが、山仲間では毒草として有名なキンポウゲ科に属し、あのトリカブトなんかと同じ仲間である。そんな余計な予備知識があると、可愛らしさも半減して面白くないけれども、一応は知っておかないと事故のもとになる。手は出さないで、可憐な姿を写真に収めるくらいが丁度良い楽しみ方と心得よう。

(2009/02/10)
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甘党
 酒は嫌いではない。酒好きを辛党と言う。辛いものが好きだから辛党と言うのではない。酒が好きな人を辛党と言うのである。だから、辛党でも饅頭が好きな奴もいれば、チョコレートパフェの大盛りをぺろりと平らげる奴もいる。
 酒は好きである。特に日本酒が美味いと思う。しかし、私は甘党である。目の前に日本酒と金唾が並んでいたら、躊躇なく金唾の方を手に取る。酒は美味いと思うけれども、いつもすぐ酔っ払ってしまって、味がわからなくなってしまうのだ。しかし、酒に強いから辛党、弱いから甘党なのではない。酒は好きだけれども、甘いものはもっと好きという人を甘党というのである。両党使いという言い方も当て字で正しくない。
 冬はバードウォッチングの季節。山から足りない餌を求めて野鳥が下りてくる。隠れ家となる木々の葉が落ちて見つけやすいからだ。その鳥にも甘いものが大好きな仲間と、そうでない仲間がいる。まさか、鳥がアルコールを好むなんて話は聞いたことがないから、辛党と言うわけにはいかないけれども、例えば、メジロやヒヨドリは甘いものが好き。これに対して、シジュウカラは脂っぽいものが好みの鳥だ。
 前に記事にした蜜柑を突く悪役は間違いなくヒヨドリ、その突いた穴をさらに突くのがメジロ。この二種は、ツバキやウメの花の蜜を求めて、庭によく飛んで来る。面白いことに、種が異なるシジュウカラがメジロと一緒にやってくる。シジュウカラは食べるものがないから、メジロの周りをウロウロするばかり。そこで、ひまわりの種でも置いてやると喜んで啄ばんでいく。
 なかなかすばしっこくてオンボロカメラに収めるのは難しいのだが、人懐こいのが取り柄で、驚かさなければ、かなりそばに近づいても逃げることはない。チョッチョッと囀りながら、紅梅の高い枝を小さな甘党たちが飛び回っていた。

(2009/02/09)
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翡翠
 大興奮である。まさか、こんな近くで目にすることができるなんて、これはもう本当に感動!なのだ。
 いつもの散歩コースで特記すべきことが少なくなってしまい、これはネタ探しに遠出をしなければならないなあと、オンボロチャリで30分ほどの大きな公園に遠征に出向いた。道中もいろいろ面白いものを見つけたが、それは追々話すとして、さすがに自然がふんだんに残る大きな公園である。
 ひと通り園内を一周して、さあ帰ろうと思った後のこと。人通りの多いメイン路を避けて、それと平行する小径をゆっくり出口に向かって歩き始めた。前方に小さな池が見えてきたその時、ひょいと水面から小さな塊が飛び出して細長く伸びた枯れ枝に止まった。
 そぅっと近づくと、突然心臓の鼓動が大きくなった。あれはもしかして・・・!
 急いでカメラを取り出してシャッターを切る。ところが、小径からは遠くて、ズームを目一杯かけてもよくわからない。そぅっとそぅっと池を回りこんでいく。そこへ集団がメイン路を通りかかった。まずい!驚いて逃げてしまう!・・・と思いきや、その小さな塊は悠然として飛び立つ気配は微塵もない。集団の人々も池の方には全く関心がなく痴話話に興じている。
 少し落ち着きを取り戻し、私もメイン路に出て再度シャッターを切ったのがこれ。動物園以外の場所でこの鳥を見たのは初めてだ。
 かつて、山仲間の一人がカワセミの生息地を知っていて、秘密の場所なので誰にも教えないと言っていた。他には決して言わないからと手を合わせて頼んでも、噂っていうのはそうやって広がるもんだから絶対に教えないと断わられた。彼に言わせれば野生のものはそれくらい貴重なのだという。確かに、今日まで一度も目撃したことはなかったので、この感動はちょっとうまく言い表せない。
 んがーっ!こんなに近くを歩いているたくさんの人達は、なんで気付かないのだろう?あるいは、とっくに見慣れていて、カワセミぐらいでなに興奮しているのって笑っているのだろうか?要するに興味がないだけか?
 しばらく人通りが途切れて静かになったので、ゆっくりカメラを構えていたら、品の良いおばあさんが近づいてきて、「何を撮ってらっしゃるの?」と話しかけてくる。「カワセミですよ。水辺の宝石って言われているんですよ」と指さすと「まあ、本当にきれいな鳥ですねぇ」。
 無邪気な笑顔がまた一つの宝石のように感じられた。

(2009/02/08)
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降灰
 どんよりとした曇り、というよりも光線が乱反射して視界全体が霞んでいる感じの今朝の街。気分的なものかもしれないが、なんとなくキナ臭いような空気の中で、鼻の奥というか咽喉の辺りもぴりぴりと気になる。
 散歩を控えて家の前の道路を掃いてみると、いつもなら落ち葉が集まるだけなのが、こんなに細かい灰が混じっていた。なるほど、ニュースで伝えていた浅間の火山灰がここら辺にも降ったんだ。
 今回の噴火は小規模だったらしいが、北西の風に乗って伊豆大島でも降灰が観測されたという。浅間から直線で150キロくらいでこんな量だから、噴火というのは小規模でもバカにできるものではない。まだ中規模程度の噴火があるという予測なので、安心して洗濯物も干せない。
 浅間からの距離の半分くらいしか離れていない富士山だったら、もっとひどいことになるだろう。さらに大噴火なんてことになったらとんでもない話だ。近頃は大地震と共に富士の活動についても色々と話題に上がるくらいだから、冗談と笑いとばすわけにもいかない。
 予報では日中は晴れとのことだったが、このすっきりしない空はおそらく浮遊する火山灰の影響だ。灰が陽の光をさえぎって気温も上がらず、暦の上では春だというのにやけに肌寒くて気が滅入ってくる。花粉症でもないのに、目も咽喉も痛い。気分転換にテレビをつけたら、例によって国民不在の政治ショーが映し出されて、ますます気分が悪くなってきた。

(2009/02/04)
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