コンセプトは ”どうしたら面白くなるか?” 庭先の博物誌 画・文:平澤 功
おもしろがりホーム
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木枯し 081230 ろうばい
081229 あさがおあとしまつ
081227 はつごおり
081225 かぜさゆる
081221 しゅうかく
081219 きょしんへい
081218 まちぶせ
081217 たんざわしろく
081215 はつしも
081214 いざかや
081212 まっくろくろすけ
081210 てつじょうもう
081208 しもばしらたつ
081206 しののめ

081205 ふゆのき
081204 あさがおそのごそのご
081203 こまつよいぐさ
 枯葉が北風に舞う冬の街角。
 まだ暗いうちに家を出る朝の散歩。
 はじめは寒くても、歩いていればポカポカしてくるよ♪
 日が昇って家に戻るころには、うっすら汗をかくほどさ。
 でも、外から帰ったら、うがいと手洗いを忘れずに!
おすすめの出し物
品質でもうけなさい…品質「補償」活動・「お祭り」品質管理に決別を!品質問題の本質と解決の考え方を豊富なイラストでやさしく解説します。 改善提案名人に挑戦!…生産改善のコツを楽しい物語で解説。
(2008/12)
   備忘録めもらんだむ・・・常時工事中です。歯抜けでも差し支えなければどうぞご覧ください。 午後の絵本…オリジナルのイラストです。ヒマなときにどうぞ。
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蝋梅
 ときどき、結構な上り坂をスイスイと登っていく自転車を見かける。漕いでいるのが、これまた結構なお年寄りだから、達者なもんだと驚かされるのだが、実は、電動機の力を借りて漕ぐというやつで、これに乗っている場合がほとんどだ。
 私のは安物のママチャリなので、少しでも勾配がきつくなると、ひぃこらひぃこら根性を出さなければならない。なにしろ坂の多い街なので、ちょっと出かけるだけでも良い運動量になるというわけだ。
 プリンタのインクがなくなったので隣の駅のホームセンターに買いに出た。行きはよいよい帰りはこわい。ホームセンターまでは長い下り坂を気持ちよく転がしていくが、これを逆走する帰りはかなりきつい。いつも半分も行かないところでギブアップして、自転車を押して歩くことになる。
 今日も根性ナシ。膝の上が張ってきて息が上がったら、さっさと降りる。降りればペダルを踏むことだけに集中していた意識が、街中に漂う季節の中に分散していく。
 おや、この香りはロウバイだ。
 花被に黄蝋のような光沢があるのでこの名があるが、春先に咲くウメとは違う仲間。南京梅、唐梅の別名があり、香りはランに似ている。年の瀬の冷たい風に乗って、この香りが漂ってくると、いよいよ押し詰まってきたことを実感する。
 明日は大晦日。そして間もなく年が明ける。年越しなんてケジメをつけるのは人間の勝手で、時間は容赦なく過去へと飛び去っていく。虚子のこの句をいつも思い出す。

 去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの

 さて、未曾有と言われる経済不安に陥っている現在、これがすぐに上向くとも思えないけれど、早く立ち直りのきっかけを見出して、良い年になってほしいと願うばかりだ。
 今年の記事はこれでおしまい。みなさん、良いお年を!

(2008/12/30)
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朝顔その後のその後の後始末
 あの朝顔。 葉に青さは残るものの、やっぱり年越しはムリだった。
 でも、短い間に色々なことを考えさせてくれた花ではあった。
 そう言えば、隣りにあった家がなくなって、いつの間にかさら地になっている。こんな取るに足らない草花でも、また来年生えるであろう命のゆったりとした時間と比べて、人の世のなんとめまぐるしく移り変わっていくことか。この切なさを、古の人は無常観と呼んだのだろう・・・。
 これで、朝顔シリーズはホントにおしまーい。

(2008/12/29)
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初氷
 夕べ、珍しくTVドラマを見て夜更かしをしてしまった。いつもの時間に目が覚めたものの、とても布団から出る気にはなれず、今朝の散歩はなし。義務とは思っていないので、こんな日もたまにはある。
 とはいえ、外は滅法良い天気で、関東地方はこの冬一番の寒さ。朝のニュースに映された真っ白い富士を見たら、えらい損をした気分になってきた。布団の中で温もりをむさぼっていても、ブログの記事になるネタはない。やっぱり外に出ないと面白くない。
 東京は初氷と天気予報で伝えていた。初氷か。散歩に出ても池とか湖があるわけでもないし、あんまり関係ないかなとつぶやきながら、雨戸を開けた。朝日が茶の間の中に入ってくる。
 ちょうどその縁側の先だ。今は枯れて跡形もないが、以前、蓮を育てていた水瓶があって、それをのぞいてみると、おお見事に氷が張っておる。縁の部分を指でこすって上手く融かすと、大きな円いガラスみたいに取り外せるのだが、ガチガチに固まっていて柄杓の柄を持ってもびくともしない。その内、指先が痛くなってきたので、バカみたいな真似はやめた。
 まだまだ大掃除も終わらず、寒い寒いとばかり言って入られない。もういくつ寝るとお正月。今日は立松と輪飾りを買いに行かなくては。

 指先に痛み残して初氷

(2008/12/27)
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風冴ゆる
 何の面白みもない坂道を降りていくときは、少し大またに腰を左右によじるように歩く。
 早朝散歩でウェストが小さくなったのはいいが、どうも横っ腹の脂肪だけが不自然に残っているような気がするために、下り坂では意識してそのように歩いている。とはいえ、犬の散歩などに出会うと、さすがにびっくりしたような顔をされるので、だれもいないのを見計らってからのトライだ。
 ほっ、ほっ、ほっ、ほっ・・・勢いに乗ってスピードが出ると危ないから、テンポよく息を吐いて下っていく。これをやると、起きたばかりのボンヤリしている体がシャキッとして気持ちが良いんだ。
 下りきってフーッと一息ついてから、水筒の水を飲もうとしたら、竹林の上の方だけが朝日に照らされているのが目に入ってきた。朝風に吹かれてゆらゆら揺れている。
 目に見えないものは、別のものに触れて変化をもたらすことで自己を主張する。風は空気の流れだから、そのままではもちろん目には見えない。こうして木々の梢を揺らして、オレはここにいるぞとサインを出している。枝葉がかすれ合ってサーッという音になり、人はこれを風の音として聞く。
 目に見えるものの変化に気付くこと、これがとても大事なんだ。それは、目に見えないもののメッセージかもしれない。こんなことを言うと、すぐ霊魂とか超常現象とか、わけのわからない怪しげな話を持ち出したがる人がいるが、我々の身の回りには目に見えないものが結構あるのだ。空気、ガス、匂い、電気、圧力、熱、時間、人の心・・・そういったものが悪戯をしたり、幸福をもたらしたりする。
 今日も寒くなるぞーって言ってるのかな、この風は。

 仰ぐこの竹の梢に風冴ゆる

(2008/12/25)
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収穫
 今日は冬至。正月を迎える前のこの時期に、毎年、庭にある蜜柑の収穫をする。この家に越してきた時に買った苗木が大きくなったもので、市販のものより味が濃いので、お裾分けする近所の評判もすこぶる良い。
 ヒヨやメジロは甘いのをよく知っていて、よく熟れたやつをつついては大きな穴をあけてしまう。多少は自然の恵みに対する感謝の印と思って放っておくのだが、今年はやけに穴あきの実が多い。そんなに餌が不足しているとも思えないが、人間社会と同じ不況の嵐でも吹き荒れているのだろうか。
 実際、いつもの年なら段ボール3箱は下らないのに、今年はご覧の通り、小さめの箱ひとつ分しかとれなかった。日当たりが良いはずの上の方に全然実が付いておらず、徒長枝が伸び放題になっていた。
 一つひとつの実も大振りなものが多いので、花が少なかったのかもしれない。・・・いや、今年は台風がなかったし、花が落ちてしまうほどの天候不順でもなかったような気がする。一体どうしちゃったんだろう?今年はご近所に配る分だけで終わってしまいそうだ。
 まあ、お世話になっている人達に喜んでもらえばいいか。と、穴をあけられたやつの無事な部分をむいて口に入れた。
 うん、やっぱり甘い!

(2008/12/21)
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巨神兵
 春先、雲雀のさえずりが愉しかった空き地に、新しいマンションの土台が作られて、見る影もなくなってしまった。
 この辺り、ほんの数年前までは静かな生産緑地帯が広がり、ところどころに谷保と呼ばれる自然林の痕跡も残っていたものだ。今は影も形もなくなってしまった。私の兄弟家族も住んでいるし、お年寄りにはマンション暮らしの方が楽だと言うので、マンション自体を非難しても仕方がない話なのだが、こうして貴重な自然が目の前から消えていくのが、なんとも言葉にしようがないほど残念でならない。
 この不況下で新築マンションを買う人って、どんな人なんだろう。そういう目であちこちの棟を眺めてみると、空いている部屋がやけに目立つのは気のせいだろうか。売れないなら、計画を変更して別の土地活用でも考えればいいのに、完成させてじっと売れるのを待つというのが、この業界なのか。こんな効率の悪い商売をやって、よく儲かるものだ。
 セキュリティも万全、見た目も洗練されたきれいなビルディング、いくつか小公園も配して、いかにも若い町並みという感じ。ついこないだまでの景色すら知らない新しい人達が移り住み、それぞれの生活権を主張している。とはいえ、変わらぬ物など何もないのが世の習いだから、こんなことを愚痴っていても意味がない。
 ただひとつ、気になるのはあの雲雀。今ごろどこにいるんだろう。また来春、あの甲高い声を高い空から聞かせてくれるのだろうか。見上げる空、巨神兵を彷彿とさせる巨大なクレーンが、何の感情もなくそびえ立っていた。

(2008/12/19)
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待ち伏せ
 一段と冷え込む夜明けだというのに、陰になって一層寒かろう壁の袂にじっと動かない猫一匹。
 猫はこの時間帯に縄張りを歩いて回る習性があるのか、普通は人間が近づいてもそそくさと逃げてしまう。ところが、この猫ときたら全く無反応だ。病気のようでもなさそうだし、一体何をしているんだろう?そんなところにいたら風邪ひくぞ。
 よく見ると、ときどき耳をぴくぴくさせる。もしかしたら、頭の上の丸い穴の中に何かいるのかもしれない。時節柄、虫の類は考えにくいから、スズメ?それともネズミ?狩猟本能がこの寒さをものともしないとすれば、なかなか根性の据わった猫ではないか。
 猫の強さは、ただひたすら獲物を捕ることに集中していること。目的と手段が一点に絞られていると、雑念がないからものすごい力となる。人間でも同じことが言えるのだが、頭が良すぎるのが災いして、いざという時に余計なことばかり考えてしまう。凡人はそれがプレッシャーになって期待した結果が得られない。非凡・平凡と頭の良し悪しとは違うということだ。
 何が隠れているか知らないが、穴の中にいる獲物の胸中や察するに余りある。色々なことを考えては、ただビクビクするだけでストレスの塊りみたいになっているだろう。いっそ、気付かずにやられてしまう方が楽かもしれない。
 と、いつまでもこいつに付き合っているわけにも行かないので、やむなく後にすることにした。すると、前方から大きなゴールデンレトリバーがやってくる。これは、ひと騒動あるかなと、猫の方を振り返ると、とっくに姿を消していた。
 まったく、猫ってやつの生き方はあるがままで、かつ、そつがなくて恐れ入る。糞尿のしつけさえちゃんとしていれば、愛すべき生き物なのだが。

(2008/12/18)
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丹沢白く
 ああ、丹沢にも雪が降ったんだ。 ちょうど富士の前衛のように見える山々が丹沢。山歩きが好きな人なら、この名前には憬れのような一種独特の響きを感じてしまう。
 首都圏のハイカーにとって、高尾や御岳あたりが山歩き入門編。ケーブルカーでも登れるため最近は外国人の観光スポットになっていると聞く。少し慣れてくると、奥武蔵・奥多摩一帯を頻繁に徘徊するようになる。遊歩道がよく整備されていて危険な個所はほとんどないので、子供連れで遠足気分でも歩ける。
 丹沢の尾根歩きはそのひとつ上のレベルという感じだ。ところどころ急な岩場があったり、沢が切れ込んで危険なところもあるので、いっぱしのアルペン気分に浸ることができる。上級者向けの沢登りの名所でもあり、山好きにはとても奥の深い山。こんな山が首都圏から交通の便の良いところにあるというのが最大の魅力なのだ。
 最高峰は蛭ヶ岳(1673m)だが、最も人気があるのは塔ノ岳(1491m)。例えば、週末の会社が引けたらすぐさま山の格好に着替え、小田急とバスを乗り継いで登山口まで直行。そのまま月の光を頼りに夜中のバカ尾根を登って頂上にたどり着くというわけだ。そこからご来光と真正面に眺める富士山を拝んだら、だれでも山歩きがやめられなくなってしまう。
 一度、真夏の炎天下に歩いてバテバテの脱水症状になったことがあった。頂上にある尊仏山荘で飲んだ番茶の美味かったこと。そのとき山荘のご主人に笑われながら言われたものだ。「丹沢は夏登る山じゃないよ、雪が適度に被った頃がベストなのさ」と。
 そうだ。これからが丹沢のシーズン。しばらくご無沙汰しているが、もう少し体力を付けたら、久し振りに尾根歩きを計画してみようか。

(2008/12/17)
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初霜
 東京・神奈川で初霜だったとのこと。
 霜は大気中に含まれる水分が地面などに触れることで昇華し、微小な氷の層になる現象。畑の残る裏道で真っ白な霜だたみを目にして、感嘆の声をあげてしまった。
 冬の歳時記を開いてみると、霜には「三つの花」とか「青女」「さはひこめ」などという異名があると書かれた説明を見つけた。どんな由来かと調べてみると、「青女」というのは、霜の女神のことで、霜を花にたとえて地に植えるという古い言い伝えがあるらしい。しかし、それ以上はよくわからない。
 「さはひこめ」についても手元の資料やネットで調べてみたが、詳しく言及しているものはほとんどなかった。江戸時代に、「古今打聞(こきんうちぎき)」通称「秘蔵抄」と呼ばれる和歌集が編纂されて、その中に「さはひこめ−おくわかやとの−ませのうちに−かはらよもきは−うたたかれたり」の一首があるというところまで見えてきたが、そこから先はどうやら専門家の領域のようだ。
 日本語がぞんざいに扱われて、古くて味わいのある言葉がどんどん消えている時代だから、これは止むを得ないことなのだろう。敬語よりため口、意味不明の略語、絵文字の氾濫・・・仲間内で気楽に遊んでいる分なら別に構わないとも思うが、言葉は文化である。こうした心惹かれる美しい言葉が失われていることを知ると、少し切ない気持ちになってしまう。
 わあ、すっごーい!なんか雪みたーい!って、驚くだけまだマシか。こんな霜など目もくれずに、みんな襟を立てて急ぎ足で駅に向かっていく。頭の中は不景気な世の中のことばかり、身も心も寒々として季節を愉しむゆとりなどありゃしない。そう思えば思うほどに寒さが沁みる初霜の朝。

(2008/12/15)
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居酒屋
 紅く色付いたツタを這わせた洒落た色煉瓦。
 まるで銀座の高級スナックの壁、あるいはちょっと小粋なフランス料理の店かもしれない。キツネ色に焼けたローストチキンの匂いが漂ってきて、グラスに注がれた赤いワインが踊っているようなイメージ。あちこちで忘年会が盛んな時期だが、こんな店だとちょっと高そうで入りづらい。
 実は散歩の途中で見かけた、ごく普通の家の煉瓦塀。
 出会ってすぐに居酒屋という名前が頭に浮かんだのだが、今どき居酒屋と言えば、繁華街の雑居ビルに大きなフロアを構えるチェーン店を思い浮かべる人がほとんどだろう。実際、居酒屋とは安く酒を飲ませる店のことだから、高級な居酒屋というのでは明らかに矛盾してしまう。
 思い浮かべたのは、ヨーロッパの田舎町の居酒屋。例えば、居酒屋という古い映画がある。エミール=ゾラの原作をルネ=クレマンが監督し、名優マリア=シェルが不幸なヒロインを演じた近代フランス映画の傑作と言われている名画である。
 つまり、今どきのキンキラキンの居酒屋じゃなくて、こんな味のある煉瓦塀の居酒屋なら、何か大人のドラマでも起こりそうな気がしてこないか。そんなイメージを少しだけふくらませて愉しんでみる。
 薄暗い店の中、数えるほどのテーブルを囲む客が、にぎやかに談笑している。会話とノイズの混じったジャズの中を紫煙が漂い、ライトに照らされてカウンターの上の真っ赤な薔薇にまとわり付いていく。その横で、ワイングラスを弄びながら、女がバーテンと何かしゃべっている。うっとりとした目で女が微笑みかけたそのとき、大きな音を立てて店の扉が開き、若い男が入ってきた。ひどく酔っている。よろよろと女に近づき、ゆっくりと顔の前にかざしたその手には、血に染まったダガーナイフが握られていた。男は一体・・・
 さて、この続きは・・・いずれ、そのうちに。

(2008/12/14)
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真っ黒黒助
 散歩から帰ってくると、上着に草の実がくっついていることがある。キク科のオナモミやヒユ科のイノコズチが代表的なものだ。
 よく観察してみると、周りに生えている剛毛の先がカギ状に曲がっていて、動物の毛や衣服の繊維に引っ掛かるようになっている。こんな単純な構造なのに、一度くっつくとなかなか取れないから、うまくできている。マジックテープはこれからヒントを得て作られたことをご存知の人も多いだろう。こうして他のものに付着して運ばれて、勢力範囲を広げて行くわけだ。自然というのは賢いものだと感心する。
 縦長の黒い種子が放射状に付いているこの果実は、センダングサ(キク科)の痩果。インターチェンジの脇の、ほとんど人が通らない隘路で見つけた。まるでトトロに出てくる真っ黒黒助みたいな愛嬌があって、思わず微笑んでしまう。この実も、やはり種子の先に3本のカギが付いていて、人や動物に付着して運ばれていく。
 昔の子供はこんなものが格好の玩具になって、先生の背中に悪戯をしたり、友達同士が敵味方に分かれて種投げ合戦をしたりした。外で手に触れるものすべてが玩具になったし、空き地や草むらがそのまま理科の教室だった。
 いつからだろう、遊びにやたら金が掛かるようになってしまったのは。今さら声高に言いたいわけでもないが、こんな時にふと思ってしまうのである。あのころはみんな貧乏だったが、間違いなく精神的な豊かさに恵まれていたなあと。

(2008/12/12)
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鉄条網
 水仙は12月半ばから4月に掛けて咲く寒い時季の花。
 夜明けてすぐの暗がりでは、朝の空気の冷たさで香りも鈍くなってしまうのか、白く花開いているだけで何の面白味もない。しかし、ちょうど鉄条網の柵の下に咲いていたのが妙に印象的だった。どこかで見たような取り合わせなのだが、なかなか思い出せない。
 水仙。英語でダッフォディル(daffodil)。この単語を覚えたのは、ブラザース=フォアのヒット曲の中に「七つの水仙」という名曲があるからだ。ブラザース=フォアは60年代に流行したフォークソングのグループ。その名の通り、4人組の美しいハーモニーを聞かせる男性ボーカルグループだった。わかりやすい歌詞は英語の勉強にも役に立った。
 フォークソングのメロディラインは、どちらかと言えばおとなしい範疇に入るが、時代背景としてはベトナム戦争が激化していたころの音楽である。反戦歌が多く作られ、新宿の西口地下広場で若者たちが歌い集っていた。年配の人の中にはロックなどより過激な音楽という印象があるかもしれない。
 そうなのだ。水仙と鉄条網。これは、横田基地の脇の道路沿いに見た光景なのだ。
 もちろん、横田基地はアメリカ空軍の駐屯地で、日本人が勝手に入ることは出来ない。沖縄だけではなく、東京の近郊にもこんな場所がある。戦後60年余経った今でも、この国にアメリカ軍が進駐しているという現実。政府と官僚が、国民の声を聞くよりアメリカの言いなりなのは当たり前なのだ。
 柳ジョージの「フェンスの向こうのアメリカ」という歌を知っているだろうか。あのときフェンスの先に見た水仙は確かにアメリカだった。そして、あのときも白い花の香りより、排気ガスの臭いと頻繁に離着陸する大型輸送機のエンジン音の方が記憶に残っている。アメリカへの憧れと同時に、越えられない鉄条網に味気なさと虚しさを感じていたことも。

(2008/12/10)
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霜柱立つ
 気温が10℃を下回るのが当たり前になってきた。カラカラの好天に恵まれれば、放射冷却も相まって、明け方の地表温度は氷点下に冷えている。
 霜柱は地中に含まれている水分が凝固して氷の柱となり土の表面を持ち上げる現象で、土の粒子が細かい関東ローム層によく見られるとされている。朝早い通学路をザクザク音を立てながら歩くのが愉しかった。かと思えば、日が高くなって気温が上がり、これが解けてぐちゃぐちゃの泥んこになってしまうと、革靴の底にまとわり付いてひどく難儀をしたものである。
 今はほとんどの道路がアスファルトに覆われてしまい、公園などもよく整備されて、外で霜柱を見ることは珍しくなってしまった。写真は、大通りに面した日当たりの悪い空き地で、今年初めて見つけた霜柱。私の記憶にある霜柱はもっと大きくて、中には10センチくらいの石を軽々と持ち上げるような豪快なやつもあった。
 いずれ、ここもマンションか何かが建ってしまって、同じ光景を見ることはなくなる。こうした自然の風物が一つひとつ姿を消して、今の子の思い出の中には何も残っていかないのだろう。まあ、こんな取るに足りない氷のかけらより、携帯電話の中身の方がよっぽど重要なんだろうけれど。
 これからが冬の本番。もしかしたら家の庭で見ることがあるかもしれない。虚子の句がある。

 貧乏の庭の広さよ霜柱

(2008/12/08)
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東雲
 冬の早朝散歩はまだ暗いうちの出発。
 東の空が少し明るくなってきたなあと感じながら、しばらく歩いていると、目の前に見るも鮮やかなシルエットが浮かんでくる。深い息をして立ち止まっていると、時間はさっさと白い光の中にその光景を溶け込ませて、間もなくお天道様が顔を出す。
 でも、このほんの5分程度の光の舞踏との出会いが、早朝散歩の最大の愉しみ。いつもすごい得をした気分になって、最低気温の時間帯なのに寒さをすっかり忘れてしまう。
 古来、この時間帯を東の雲と書いて「しののめ」と呼んだ。ものの本にはこう書かれてある。電気もランプもない古い時代の家は、篠竹で編んだ粗い網目を明り取りにしていて、その網目を通して薄明りが差し込んでくる明け方を「しののめ」と言うようになった。明り取りの向こうに拝むのは、東の空にたなびく雲だったのだろうか。そこから東雲の字があてられたのかもしれない。
 生活時間帯が深夜に及ぶ時代だから、ほんのひと握りしかこの光景を愉しめる人はいない。確か東京の下町にそんな名前の町があったと思うが、地名や人名を除けば東雲なんて語、学校の古文の時間で初めて接するくらいのものだろう。
 わざわざ遠くに出かけなくても、身近にこんなに見応えのある自然があるのだけれど・・・

(2008/12/06)
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冬の木
 小さなトンネルを抜けて東名高速をくぐると、左に高速に沿って隘路が通っている。少し急な坂になっていて、ここをせっせと上っていくと、いい汗をかく。
 すると、かすかに・・・ほんのかすかに良い香りがした。ここはいつも通る道なのに、こんな香りはついぞ感じたことがない。どこから流れてくるんだろうとキョロキョロしていると、犬を連れて坂を下りてくるおじさんに変な目でジロジロ見られてしまった。
 怪しい人物と思われてはたまらないので、カメラを取り出して植木を撮るような振りをしたら、そのファインダーに写った白い花が香りの元なのだった。
 葉の形で、それがヒイラギだとすぐわかる。後で調べてみたら、モクセイと同じ仲間。道理で香りが良いはずだ。小さな白い花の付き方もよく似ている。
 ヒイラギ。木扁に冬と書く、この時季の代表的な花と言ってよいだろう。クリスマスの飾りに使う赤い実のヒイラギはセイヨウヒイラギという別種。そんなウンチクはちょっと調べれば誰でも語れるから、ここではそれ以上深追いはしないでおこう。
 冬の香りの初体験がとてもいい気分だ。

(2008/12/05)
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朝顔その後のその後
 忘れずに確認したぞ。今朝の朝顔。
 さすがに、縮れ始めた花もちらほら混じってきたけれど、それでも12月だというのに元気なこと!この分だと冗談でなく本当に年を越してしまうかもしれない。
 温暖化の影響?・・・でもなさそうだ。気象庁の話では平年並みの気温だし、実際、今朝も冬らしい寒さ。昨日のマツヨイグサにしてもそうだが、やっぱり、バラツキの範囲と言うか、朝顔は冬でも立派に咲くものなのだ!
 朝顔を夏の花と言うのはもうやめた。

(2008/12/04)
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小待宵草
 まるで四葉のクローバーを黄色くしたような花。大きさは500円玉ぐらい。今の時季にこんな可愛らしい花が咲くんだなと、図鑑を紐解いてみる。ところが、それらしい秋・冬の花が全く見当たらない。
 花弁が4つで十字に開くという特徴からは、アブラナ科かアカバナ科またはケシ科の一部に絞られる。アブラナの仲間ならもっと背が高く、小さい花が集まって咲く感じで、花弁にこんな切れ込みはない。ケシ科のこのタイプはクサノオウというやつだが、葉の形が全然違う。さて、これは一体何という花なんだろう? そこで、秋・冬という条件を取り払って、似たようなアカバナ科の黄色い花を片っ端から調べてみると、それらしいのが見つかった。葉の形もそっくりだ。
 小待宵草・・・えー?マツヨイグサって夏の花じゃん。と、一瞬疑ってみたが、先日冬に咲く朝顔の花を見たばかりだ。決め付けは禁物。マツヨイグサだってこの寒さの中に残っていてもおかしくはない。これが事実なんだから。
 そう言えば、あの朝顔、どうなっただろう?まだ元気に花開いているだろうか。明日の朝、覚えていたら、見に行ってみよう。

(2008/12/03)
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